「そんなの愛なんて呼ぶんですか？」
不満顔で言う僕に、清人センパイは言った。
「そういうのを愛って言うんだよ」
■* Chap 3１ ： Irritation（苛立）
どうしても納得いかない。
涼センパイのことも、一琉センパイのことも、どっちも納得できない。
何も僕が怒ることじゃないし、他人様の恋愛事情に口を挟むなんて１０年早いって解ってる。
でも・・・・・
「何イラついてんだよ」
紙パックを黙ってすすりながら眉間にシワを寄せる僕を見て、清人センパイは困ったように笑う。
「…別に・・・」
ものすごく低いトーンで答える僕に、センパイはそれ以上なにも言わない。
空になった紙パックをクシャっと潰して、それをゴミ箱へ放り込んだ。
「聖、いる？」
ドアの方から聞こえたのは、桐羽センパイの声。
「悪いけど、今から一緒に本店に行ってくれないかな？」
「僕が、ですか？」
「うん。手続きしないといけない事とか出さなきゃいけない書類とかがあるんだけど、それに打ち合わせが重なっちゃって…聖にちょっとお使い頼めたらなって思って」
そう言いながら、センパイは手元の書類をパラパラとめくった。
「ほら、今日は涼もお休みだし。ね」
本当に忙しいらしく、桐羽センパイはちょっと困り顔で僕にお願いサインを送ってくる。
「―― 解りました」
あんまり気乗りしなかったけど、桐羽センパイの頼みじゃ仕方ない。広げていた雑誌を片付けて小さく息をつくと、椅子から立ち上がる。
「行ってらっしゃい。気ぃつけて」
タバコの箱を振りながら、清人センパイは僕を見送る。
僕は急ぎ気味の桐羽センパイについて、店を後にした。
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気乗りしないことには、やっぱり何かあるのかもしれない。
桐羽センパイのお使いで捜査部の事務局に書類を出しに行った僕は、本店の捜査課のフロアで”この世で一番大ッ嫌いな奴”、ルキと鉢合わせしてしまった。
書類を持って次の場所へ向かっていた僕に、ルキは投げ捨てるように言葉をかけてきた。
「―― めずらしいじゃん。特別扱いの春比奈がこんなとこで何やってんだよ」
―― るっさい…特別扱いは余計だ
ムッとしながらも、僕は冷静に返事を返す。
「お前にカンケーないだろ」
フン、と顔を背けて通り過ぎようとした僕に、ルキはさらにムカつくことを言ってくる。
「この頃瑠璃沢センパイもたまに来るんだぜ？知ってるか？」
そんなの、お前に言われなくたって解ってる。有村先輩から電話がかかってくる度に涼センパイは本店へ行ってしまう。
皮肉っぽい笑いを僕に見せるルキ。僕はそんなルキを無表情に眺めて言葉を返す。
「―― 知ってるよ。それが何か？」
「知ってんのか。へーぇ…」
ちらりと僕を見た後、ルキはちょっと迷惑そうな顔で僕にこう言った。
「瑠璃沢先輩は懲りない人だよな…また有村先輩とあんな事して。一回左遷されたってのに、解ってないよな」
そんなルキの言葉に、僕はもう無表情を装ってはいられなくなった。あんな事、の意味がわかるだけに余計に腹が立つ。
ムッとして見せて、僕も負けじと言い返す。
「左遷って。あれはセンパイだけが悪いわけじゃないし。特殊取締部に異動したからって左遷とは限らないだろ」
そういう僕に、ルキははん、と呆れたように鼻で笑ってみせる。
「…瑠璃沢先輩は、部長を殴ったんだぞ？そんなの普通懲戒だし。でもそれを有村先輩がかばったから、異動だけで済んだんだろ」
ルキは偉そうにそう言うと、さらに続けた。
「もともと、問題児だった瑠璃沢先輩が１課にいられた方が奇跡ってもんだよな。それに――
」
「…それに…なんだよ……」
上から見下ろすような視線がものすごくムカつく。まるで、１課と特殊取締部じゃ格が違うんだ、という事を言いたげな態度だ。
睨み返している僕に、ルキは耳を疑うような言葉を吐いた。
「瑠璃沢先輩は、誰とだって寝るって聞いたし。自分の好みの男なら、誰でも落とすって」
身体中から、血が煮えくり返る音が聞こえた。
センパイは、そんな人じゃない。
確かに有村先輩に捨てられた後は、そんな時期もあったかもしれない。けど、それは自分がどうしていいいか解らなかったから――
センパイは、有村先輩だけを信じてた。なのに、その先輩が昇進のために自分を捨てた。
だからどうでも良くなって、涼センパイは―― ・・・・
「―― お前に…涼センパイの何が解るって言うんだよ！何にも知らないくせに――
…」
殴りたかった。今まで、誰かに対してそんな風に思ったこと、一度もなかった。ケンカする人の気持ちなんてサッパリわからなかった。
でも、今はその気持ちがすごく解る。
怒りがこみ上げ過ぎて言葉も出ない僕に向かって、ルキはまだ続けてセンパイの事を言い続けた。
「でも、有栖川先輩と付き合ってるのは、先輩が有村先輩と似てるからじゃん。そういう事する人なんだろ、瑠璃沢先輩っていうのは」
「―― …」
もう限界だ。
僕はもう、どうなってもよかった。
とにかく、目の前のコイツの口が塞げれば―― ・・・
バキっ…と自分のグーの手から音が聞こえた。おい！という周りの誰かの声。ガタンと、いすに倒れるルキの身体。
「―― 園近！春比奈！お前達なにやってる！」
１課の課長の声が聞こえて、僕の目の前に倒れていたルキは誰かに起こされてる。
視点の定まらない目でふっと顔をあげると、遠くからこっちにくる有村先輩が見えた。
「―― 申し訳ありませんでした」
僕の頭をぐいっと下げて、桐羽センパイは１課の海野課長に謝っている。
「自分の指導不足でした。今後は気をつけますので―― 」
丁寧にそういうと、頭を上げるセンパイ。そんなセンパイを見て、海野課長はしょうがないなという顔をする。
「…まぁ、内輪のケンカだし、俺はいいんだが・・・園近は―― 」
海野課長の口ぶりから、桐羽センパイはすぐに言いたいことを察したらしい。
「ああ、有村君の部下でしたね…それは大変失礼しました」
―― 何でなんだ。
有村先輩っていうのは、そんな偉い人なのか？その人の直属の部下だから、ルキもVIP扱いって事――
？
本店っていうのは、こんなのばっかなのか。
僕はまたイライラしてきて、すごく不満な顔で桐羽センパイを見上げた。
「ホラ聖。謝りに行くよ」
センパイは不満顔の僕に何も言わず、そのまま引っ張って有村先輩のところへ連れて行く。
「すまなかった。ずいぶん迷惑を掛けたみたいで、申し訳ない」
桐羽センパイはまた丁寧に、有村先輩に頭を下げる。有村先輩は何も言わず、黙って桐羽センパイを見ていた。
「園近君も、悪かったね。どこか悪いところはない？」
有村先輩の隣で立っているルキにむかって、桐羽センパイはそうたずねた。
にこりと笑って自分に問いかけてくる桐羽センパイを見て、ルキは少々腰が引けているようだ。
―― …っていうか・・・・・あれ・・・？
何故か、周りの人たちが恐る恐るこっちを見ている気がする。でも、その理由は僕には解らない。
有村先輩の直属の部下を僕が殴ったから？それにしては、怖がられてる気が・・・・・
「―― 手間のかかる部下が多いと大変だな」
今まで黙っていた有村先輩の口から出たのは、僕に対するイヤミとしか取れなかった。ムカッとして言い返そうとした僕を制して、桐羽センパイはニコニコと笑いを返す。
「ああ、まぁね・・・キミと違って、優秀な部下になかなか恵まれなくて・・・」
笑いながら、桐羽センパイはルキをちらりと見た。そして――
「特に聖は大変だから・・・園近君みたいに口が立たなくてね」
ピシっと、周りの空気が凍りつく気配を感じた。
僕はその時、周囲の雰囲気の理由と、海野課長が口ごもった訳ををやっと察した。
―― もしかして―― ・・・・
桐羽センパイと有村先輩はものすごく仲が悪い…のかも。
だから有村先輩は何も言わないし、桐羽センパイはコレでもかというくらい丁寧だ。
でもものすごく丁寧に謝っているのに、それはうわべだけなのがどうみても見え見えなのだ。
「意味もなく誰かを殴るなんて、そんなの普通じゃ考えられないからね…よっぽど『殴られるような理由』があったんだと思うけど？」
そう言うと、桐羽センパイは有村先輩の顔をまっすぐに見た。
「どうかなぁ？」
「…さぁな…」
有村先輩は目を細めて僕を見た。僕はそれに負けないようにじっと有村先輩を見返す。
「園近。謝れ」
「えっ…」
有村先輩は自分の隣にいたルキに僕に謝る様に言う。言われたルキは目を大きくして有村先輩を見上げた。
「ど、どうしてですか！殴られたのは僕ですよ？！」
「…今の話、聞いてなかったのか。殴ったのは春比奈だが、殴られる原因を作ったのはお前だろう。だから謝れ」
「…そんな…」
「いいから早く謝れ」
有村先輩に言い切られ、ルキは僕をじっと睨む。睨みながらも嫌々頭を下げる。
「―― すみませんでした…っ」
聞こえないほどの小さな声で、ルキは僕に謝ってくる。僕はそれを黙って眺めた。
「じゃあこれで解決ってことで」
桐羽センパイはくるりと踵を返すと、僕を引っ張って１課のデスクから足早に去る。
「センパイ…あの…」
何か言った方がいいのか、解らなかったけど僕は何か言わなくちゃと思って桐羽センパイの背中に向かって言葉を吐く。
「僕が全部悪いんです。ついカッとして…あの…だから…」
しどろもどろに説明をする僕に桐羽センパイは背中を向けたままで何も言わない。
「き…桐羽センパイ・・・・」
―― 怒ってるのかなぁ・・・・・当たり前か・・・・・・
何にも言わない桐羽センパイの後を僕はシュンとしてついて行くしかない。その状態のまま、捜査部のフロアを出ようとした時だった。
「あれー。もう帰っちゃうのか」
桐羽センパイの向こうに、背の高い誰かの姿が見えた。
―― この人って・・・・
「ああ戸倉か…久しぶり…」
自分の前に現れた戸倉先輩に、桐羽センパイは低いテンションで返事を返す。そんな桐羽センパイの様子を見ながらも、戸倉先輩はニッと笑って僕を見た。
「やるじゃん」
「―― えと…あの・・・・・」
何を言っていいのか解らない僕に、戸倉先輩はいーのいーの、と笑う。
「小生意気なガキだからな。園近は。そのうち誰かにガツンとやられんじゃないかと思ってたし」
そういうと戸倉先輩はニコニコして僕の頭を撫でる。
「ま、気にすんな」
「…はい・・・・」
僕が戸倉先輩に撫でられてるのを見ながら、桐羽センパイは何か考えているようだった。それから――
「戸倉、悪いんだけど今時間いいかな」
「―― あ？ああ、いいぜ…何だよ？」
「うん…ちょっと」
そういうと桐羽センパイは僕に先に戻っているように言う。
「僕は戸倉とちょっと話してから戻るから」
センパイにそういわれ、僕は先に店に戻る事にした。
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「で？殴っちゃった、ってか」
清人センパイはあーあ、という顔をして、タバコを取り出す。口にくわえてブラブラさせた後、おもむろに火をつけた。
しばらくタバコをふかしてから、清人センパイは横にあった缶コーヒーを開ける。
「でもなぁ…園近の言ってることも、あながち間違っちゃいないしな・・・・」
清人センパイはふーっとタバコの煙を吐き出すと、うーん、と困った顔をして天井を見た。
「…涼センパイが、好みの男っていうか、自分によってくる男なら誰でもって時期も無かった訳じゃないからな…」
目を細めて、清人センパイは缶コーヒーの缶をクルクル回す。
「ま、センパイはあのルックスだからさ、寄ってくる相手の数も半端じゃねぇしな・・・」
清人センパイの話を聞きながら、僕は黙ったまま手元のイチゴオレを飲む。飲みながら、清人センパイをじっと見た。
「…そんなの、解ってます。センパイが、ヤケになってそうしてたのも知ってます。でも・・・・」
「でも？」
「でも、それはもう済んだ話で。涼センパイは今はちゃんと一琉センパイと付き合ってるんだし。有村先輩が余計な事しなければ――
」
そこまで言うと、僕はまたムカムカしてきた。一琉センパイは、なんで有村先輩と涼センパイの事を許しちゃったんだろう…
それに涼センパイはどうして有村先輩と―― ・・・・
「なんで涼センパイは有村先輩のいう事なんか―― ・・・・・」
眉間にシワをよせ考え込んでいる僕を、清人センパイは黙って眺めてる。眺めてたけど――
「あの２人には、愛があるからなぁ…それも、仕方ないよな」
清人センパイの言葉の意味が理解できてなかった僕は、はぁ？という顔で清人センパイを見返す。
「愛ってなんですか。涼センパイと有村先輩に愛があるって言うんですか」
「―― そうじゃなくってよ。涼センパイと一琉の話。どっちもどっちなんだろうけどな」
そういうと、清人センパイは短くなったタバコを灰皿に置く。そして開けた缶コーヒーを一口飲んだ。
「センパイは、一琉の事を本気で好きになっちゃったんだろーな。だから何でもできるってか…」
清人センパイは自分ひとりで納得して、うんうんと頷いてる。でも僕にはその意味が解らず、清人センパイを眺めるしかない。
「そーいう愛もあるんだよ。な。解ってやれって」
また新しいタバコを取り出して、それで僕をぴっとさしながら、清人センパイはな？と笑う。でも、僕には理解不能だ。
「そんなの愛なんて呼ぶんですか？」
不満顔で言う僕に、清人センパイは言った。
「そういうのを愛って言うんだよ」
全部を解ったようなセンパイの言葉を僕は不満顔で聞いている。
でも、そもそも愛の意味自体良く解っていない僕には、そう言われても『はいそうですか』とは思考が働かない。
「俺が教えてやろうか？」
ニヤリと笑って清人センパイは僕に顔を近づけてきた。僕はそんなセンパイの顔にイチゴオレのパックを突きつけた。
「―― 冗ー談でしょ？清人センパイに教えてもらうことなんて何にもありませんからっ」
この人は、なんでこうなのかな。
まだニヤニヤ笑ってる清人センパイをジロリと見ながら、僕は手にあるイチゴオレのパックを眺める。
「でも、しょうがないんですよね・・・・」
僕がどう思ったって、涼センパイと一琉センパイが決めたことならどうしようもない。
僕的には２人に早く仲直りしてもらいたいけれど、そうもいかない事情があるのだろう。
「そーいうこった。ま、お前にできることっつったら、一琉と涼センパイが結婚する予知夢でも見てやることくらいだな」
「…なんですかそれは…」
僕は清人センパイのそんな言葉を呆れながら聞いていた。
―― 涼センパイ…大丈夫かな・・・・
一琉センパイがもしいなくなったら、涼センパイはどうするんだろう。
それを考えると、僕は何となく心配になってしまう。
―― 早く仲直りしてれるといいんだけど・・・・・・
そんな事を考えながら、僕は残りのイチゴオレをすすった。
Irritation
END
