「待っててくれる？」
「―― え…？」
「俺が、有村先輩を超えられるようになるまで、待っててくれる？」
俺のその言葉に、涼センパイは答えなかった。
答えはなかったけど、その目から大粒の涙がこぼれる。
「…待ってる…いつまでだって…待ってるから―― 」
■* Chap 30 ： Distance（距離）
どうしたらいいのか、どうすれば元に戻れるのか。
そんな事考えて、ただただ流れる時間。
でも、このままで居ても涼センパイを傷つけるだけ―― ・・・
昼飯を食べて、捜査に出る前の休憩。いつもどおりの時間だけど、そこに会話はない。
飲みかけの缶コーヒーを眺めて、俺はまたため息をつく。清人はそんな俺を黙って眺めるだけで、何にも言わない。
毎日こんな調子の俺を見て、たぶん呆れてるんじゃないかと思う。
センパイと離れる決心も、元に戻る努力をする気力もなくて、動けない。
だからって、このままじゃなんともならない―― …
「…あのさ…」
ぼそりと呟くように話しかける俺に、清人は声を出さず目だけでなんだ？と返事をする。
「…俺さ・・・・戻ろうと思う…」
戻るというのがどういう意味なのか、清人は聞かなくても解ってるだろう。それに、止めようとも思っていないはずだ。
思ったとおり、予想通りの答えが返ってきた。
「…だな…それしかねぇよなぁ…」
ポケットからタバコを出して、清人は天井を仰ぐ。取り出した１本に火をつけて、しばらく言葉を探しながらそれをふかしていた。
「センパイには、言ったのか？」
「…まだ・・・」
「…ま、言わなくても解ってくれるだろうけどよ」
仕方ないよな…という顔をして、清人はふーっと煙を吐く。それからこう言った。
「にしても、有村さんて・・・・・」
そこまで言って、清人ははーっとため息をついた。とんとんとタバコの灰を落としながらどう言おうか、考えてるみたいだ。
「…いや…違うな・・・・涼センパイが…か」
何を言いたいのか、解るような解らないような清人の言葉を聞きながら俺は缶コーヒーを一口飲む。
「センパイが…何だよ」
途中でやめられると気になる。センパイが何なんだろう。
「センパイが、罪作りってことだよ」
「・・・・・ああ…」
きっと有村先輩は最初から、涼センパイを手放す気などなかったのだろう。部長の娘さんと結婚したのだって、涼センパイとの関係を続けるためだったのかもしれない。
だけど、センパイの気持ちを繋いでおくには、言葉が足りなかった。それだけのコトかもしれない。
もし俺が同じ立場だったら、同じコトをしたかも…。
いや、かも、じゃなく、しただろう。
「…有村先輩は、今でも涼センパイの事しか、見えてないのかもな」
誰にも解るようなこんなやり方で、俺を４課に戻そうなんてあの有村先輩の考える事だとは思えない。
でも、今の有村先輩は涼センパイを手に入れるためなら、他人に何て言われようが構わないのだろう。
「…そうは見えないけどねぇ…」
俺の言葉に、清人は苦笑いしながらそう答えた。それから、また天井を見ながらタバコをふかす。
コン、と飲み干した缶コーヒーをテーブルに置く。それから、ずっと言おうと思っていた事を口にした。
それは、涼センパイを好きになって、センパイの過去を知ってからずっと思っていたこと。思っていたけれどココロの奥にしまっていた事――
「…涼センパイだって、もしかしたら――有村先輩の事・・・・・ 」
「そんな事は有り得ません！！！」
バン！と後ろのドアが開いて、甲高い声が響いた。
「ひ…聖…っ・・・？」
大きな目をいつもより大きくして、聖は俺を見ていた。見ていたというより、睨んでいた。
「一琉センパイは、本気でそんな事思ってるんですか？」
ツカツカと俺の前まで来て、聖は両手をグーにして仁王立ちになった。
「だいたい一琉センパイは、涼センパイのコト本当に大事だと思ってるんですか？涼センパイが、いつも一琉センパイのこと、どんな風に見てるか、全然知らないでしょう？！」
「―― 聖…お前…」
半泣きの顔で、俺に文句を言う聖に返す言葉がない。黙ってる俺に、聖は泣きそうな声で続けた。
「涼センパイは、一琉センパイが他の女の人と話してるだけでもいつもヤキモチ妬いて、仕事だってできない時があるのに…っ」
ううっと泣きそうになるのをこらえながら、聖は俺をキッと見た。
「それなのに、涼センパイが有村さんの事をまだ好きだなんて、そんな事、よく言えますね」
「――・・・・・」
涼センパイが少しヤキモチを妬くときがあるのは解ってたけど、そんなにしょっちゅうとは知らなかった。
泣き出す聖に、俺はどうしていいか解らない。呆気に取られて眺めていたら、見かねた清人が聖にそばまで来て椅子に座らせた。
「僕は―― 涼センパイはきっと誰にもココロを許さないんだろうなってずっと思ってました…」
聖はグッタリうなだれて、鼻をすすりあげる。そんな状態で、話を続けた。
「だけど―― 一琉センパイと暮らすようになってから、涼センパイ今までと全然違ってきて…僕にもいろんな話してくれるようになって……」
横から差し出された清人のハンカチで半分顔を覆いながらまたしゃくり上げる。そこで話を一旦やめて、聖は泣いてぐしゃぐしゃになった顔で俺を見た。
「涼センパイ、いっつも一琉センパイの話ばっかりするようになって……知ってます？缶のフタ開けるとき、涼センパイ、絶対に１００円玉で開けるんですよ」
「―― え…」
「一琉センパイが、やるからって…いままで人の真似なんか、絶対にしなかったのに…」
そういわれれば、そうかも知れない。
今までは、そんなの気にとめたこともなかったけど・・・
俺は自分が涼センパイを追いかけるのに必死で、涼センパイがどんな風に自分を見てくれてるかなんて観察したことなかった。
「離れたら―― それで終りじゃねぇんだからさ…」
小さな声で、清人が俺に言う。
「…一回、やり直してみればそれがどれだけ大事なものか、解るんじゃねぇの…？」
困ったように笑いながら泣きじゃくる聖の頭を撫でて、清人は笑う。
「…有村先輩が勝つのか、お前が勝つのか、やってみるのも悪くないと思うけどね…」
―― それが怖くて、逃げてたのかもしれない
清人に言われて、今までグルグル渦巻いていたものが消えていく気がした。俺は、自分で勝手に有村先輩には勝てないって、思い込んでいた気がする。
涼センパイは有村先輩の影を追ってて、俺にその影を重ねてる。心のどこかで、その思いが消えなかった。
好きだの、愛してるだのって何百回言ったって、本心では、涼センパイが完全に自分だけを見てくれるなんて、思ってなかったから―― …
「ちょっと―― 話して来る……」
俺はそういうと、休憩室から出る。
涼センパイは事務所にいなければ多分屋上だ。気に入らないことがあると、いつもそうしてた。
俺とうまくいかなくなってからは、よく行ってたみたいだ。
「ああ、上じゃないの…」
事務所に行ったら、何も言ってないのに桐羽センパイがそうやって教えてくれた。
「あのさ、一琉クン…」
桐羽センパイは俺を見て、机の上の書類をパラパラとめくる。
「４課のコト―― なんだけど」
戻れって、辞令が出た。桐羽センパイのいう事は予測ができた。俺はそう思ったけれど、とりあえず、その内容を聞くことにした。
「何でしょう…？」
「やっぱり…戻りたいよね？」
「―― ええ、まぁ…一応……」
「……そう……」
本当は戻りたくないけど、今は戻るしかない。それしかこの先に進む方法はないから――
…
「すいません…もう、いいですか…」
「…ああ、うん、ごめんね」
「…いえ…」
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+
桐羽センパイと話を終えると、俺は屋上に上った。
上がっていくと、屋上のちょっとした手すりがあるところでタバコをふかしてる涼センパイの姿が見えた。
「―― センパイ…」
呼びかけても、返事はない。返事がないので、俺は持ってた缶コーヒーを顔の横に差し出した。
「どうぞ」
「―― んだよ…」
「そんな怖い顔しなくても…」
急に缶コーヒーなんて持ってきた俺が不審だったのか、涼センパイはお得意の超不機嫌顔で俺を見上げた。
「―― なんか用かよ…」
「別に…？でもほら、涼センパイとここで話すのも、もうそんなにできないでしょ…？だから、コレ、俺のおごりです」
「……あっそ…」
黙ってコーヒーを受け取ると、涼センパイはポケットの中をごそごそ探る。
「一琉…１００円玉、貸して」
俺に向かって右手を出して、涼センパイは１００円玉を貸せという。聖の言ったとおり、俺の真似をしてずっとこうやって開けてるのだろう。
「はい」
貸してあげた１００円玉で、センパイはカキン、と缶のフタを開けた。
「その開け方―― 誰に教えてもらったか…覚えてます…？」
開けた缶を眺めている涼センパイに俺はそれとなく聞いてみる。
センパイはしばらく黙ってたけど、１００円玉を俺に返しながら返事を返した。
「―― 覚えてるよ―― 」
１００円玉を返した手で、そのまま俺の手を握りながらうつむくセンパイ。
握った手を離さないまま、小さな声で言う。
「…忘れるわけ―― ないだろ……」
そのまま黙り込んで、涼センパイは俺の肩にもたれかかってくる。
その身体を抱きしめたくなるのを堪えて、俺はセンパイにさっき決めたことを話すことにした。
「―― ４課に……戻ります…」
俺のその言葉を聞いても、センパイは何も言わない。言わないで、ただ、おでこをきゅっとくっつけてきた。
「戻りたいって……思ってる……？」
小さな、か細い声。耳を寄せないと聞こえないくらいの声で、センパイは俺にそう聞いた。
俺は、同じくらい小さな声でセンパイに返事を返す――
「――思ってないって……解ってるでしょう……？」
俺のその返事を聞いて、センパイは顔を上げる。仕事の時には絶対に見せない、俺だけに見せる表情でセンパイは俺を見つめた。
「―― １回だけ…もう―― 言わないから……」
キスして……と甘い声でセンパイは俺に囁く。肩につかまって、ちょっと背伸びをする、いつもと同じねだり方。
「これで――終りにするから……ね……？」
泣きそうな目をして、センパイは俺の首に腕を回す。
俺はそんなセンパイの声にもう耐えることはできなかった。
「―― センパ……イ」
ぎゅうっと折れるくらいに抱きしめて、そのままキスした。
仕事中なのも構わずに、何度も何度も・・・・
「い…ちる……」
息ができなくなるくらい、キスを繰り返してからセンパイをそっと開放する。
潤んだ目のままじっと見つめてくるセンパイ。
そんなセンパイに、俺は――
「待っててくれる？」
「―― え…？」
「俺が、有村先輩を超えられるようになるまで、待っててくれる？」
俺のその言葉に、涼センパイは答えなかった。
答えはなかったけど、その目から大粒の涙がこぼれる。
こんな事、言うつもりなかった。なかったけど、言わずにいられなかった。
その言葉を聞いて、涼センパイはものすごく切なそうな表情で、でもすごく綺麗な笑い顔を見せてくれた。
「…待ってる…いつまでだって…待ってるから―― 」
きゅうっと、抱きついてくる涼センパイ。俺はその背中をまた強く抱きしめる。
「絶対…約束だから……オレは―― いつまでだって……」
センパイは躊躇いがちに、しないって言ったキスをまた俺にくれる。それから――
「―― オレは…一琉だけのものだから……だから―― ・・・・・」
そこからは言葉にならなくて、俺の肩にぎゅっと顔をうずめるセンパイ。
今まで、何度も壊れるくらい抱いて、何回だって愛してるって繰り返してきた。だけど、今日はそんな言葉じゃ補えない。
ホントに愛しくて、離したくない。
諦めてくださいと、言える自分になりたい。
自分を諦めずに、涼センパイにも過去を振り返らせずに、一緒にいられるように。
そのために俺ができる事は１つしかない。
有村先輩に、俺を認めさせる事。
先輩がどんな手を使っても、それに屈しない自分になる。
―― それしかない。何されたって…諦められない・・・・
腕の中で震える涼センパイを抱きしめて、俺は心の中で何度も自分に言い聞かせた。
――絶対に、負けない
Distance
END
