「今欲しいものはどっちなの？」
「―― はい？」
「将来か、愛か。一琉クンが今必要なのはどっち？」
僕の質問に、一琉クンは目をぱちくりさせる。
「涼を取るか、キャリアを取るか。一琉クンはどうしたいの？」
■* Chap 32 ： reliever(鎮痛)
「何故あんな真似を？」
長椅子の端へそれぞれ腰掛け、お互いの顔は見ずに会話を交わす。
「あんな真似？何の話だ」
戸倉はふーっとタバコの煙を吐くと、目を細めて僕を見た。
「俺には何の事かさっぱり。解るように説明してくれよ」
本当に知らないのか、悪びれる様子もなく灰皿にトントンと灰を落とす彼を僕はじっと見た。
「一琉クンの事だよ。あの異動辞令…―― 君が有村に進言したんじゃないのか」
「―― はぁ？アホな事を…。何で俺が有村にそんな事言う必要がある。俺はお気に入りを部下に、なんていう心の狭い男じゃないつもりだけどね」
こっちをちらりと見て壁に肘をつくと、戸倉は呆れたようにこう言った。
「んなもん、考えりゃわかるだろ？嫌がらせだよ、嫌がらせ」
「―― …嫌がらせ？」
「瑠璃沢が有栖川とデキちゃったもんだから、有村としちゃ、悔しくて仕方なかったんじゃないの？」
有村がそんな事をするキャラクターだとは思えない。でも、戸倉は冷静にその関係を僕に解説してくれた。
「本当なら、有栖川が異動した代わりに瑠璃沢が本店に戻ってくる事になってたらしいぜ？だけど氷上さんが絶対イヤだってきかなかったって」
吸い終ったタバコをキュキュッと揉み消し、戸倉は２本目に火をつける。そしてそれを美味しそうに吸う。
「だから有村としちゃ、そこで計画が狂ったワケよ。うまく行きゃ、元コイビトを呼び戻してやって、ついでにヨリも戻せたかも知んねーってのに」
「でも有村は… 」
「部長の娘だろ？あんなの顔つなぎのための結婚だから、何とでもなるさ」
長椅子から伸ばした足を組み替えて、戸倉は話を続ける。
「最初から有村は瑠璃沢と別れる気なんかなかった。だけど瑠璃沢にしてみたら、『裏切られた』も同然な仕打ちってやつだよな」
「―― …別れる気なんかなかった …って…、そんな勝手な…」
僕はもう何も言い返す気になれなかった。有村がそんな風に涼のことを見ていたなんて。
「まぁこのまんまじゃなんともなんねーってんで、４課の配置換え騒ぎに乗じて、有栖川を異動させたんだろーなぁ。しかも課長補佐にして」
「…どうして一琉クンを？いくらなんでも…急すぎる。一体なんで―― …」
僕の質問を聞いて、戸倉はカラカラを笑った。冗談ぽい顔をして、その理由を推察で話してくれる。
「おーかた、自分とヨリを戻せば有栖川を課長補佐にしてやる…とでも瑠璃沢に言ったんじゃねーの？それなら今回の揉め事の説明もつくじゃん？」
「じゃあ涼は …」
「ああ、きっと―― 、あいつ有栖川の為に有村とヨリを戻したんじゃねぇかなあ…。でなけりゃ説明がつかねぇよ。こんな人事」
しょーがねーよなぁ…と戸倉はため息をつく。
「…まぁ、どっちにしても上から出た命令じゃこっちもイヤですってワケにもいかねーんだけどさ…」
ニヤリと笑って僕をみる彼。それはあきらかに何かを企んでいる。
「俺も有栖川の事はかわいいからさー…。何とかしてやりてぇとは思ってるワケよ。んなら、こっちに来たあいつを追い返すしかないじゃん？」
「追い返す？」
「うん」
タバコをくわえたまま目を細めて一瞬こっちを見た後、フロアのタイルを見つめて戸倉はこう言った。
「変に傷に触るような事するよりも、解りやすい方法でやってやった方がこっちも気持ちいいじゃん？だったら俺に出来る事は、有栖川が瑠璃沢のそばに居てやれるように”４課には戻ってくんな”って言ってやることしかできないかなーって」
「戻ってくるな…って。異動命令を無視するっていう事？そんな事したら―― …」
「いいんじゃない？俺は命令無視とか、そういうの全然気にしないから。それで部長の怒りを買って、どっかに放りだされたって別にどーってことないしさぁ」
あっけらかんとしてふふん、と笑う戸倉を、僕は呆れ顔で眺めた。
「このまんまじゃ有村の思い通りになっちまって、俺もお前も立場ないじゃん。別に俺らはあいつに何の借りもないのに偉そうにされてさ」
ちょっとは痛い目みせてやんなくちゃ面白くないよ、と戸倉は言う。
「―― …まぁ…確かに。個人の私欲で人事を決められて、振り回されるのはいい気分じゃないけど…」
躊躇いがちに応える僕は、ふーっと長いため息を吐いてみる。
イスのある通路を事務の女の子が遠慮がちに通っていく。その姿を眺めながら、僕と戸倉はしばらく黙ったままでいた。
「瑠璃沢は、ホントに有栖川に惚れてんだなぁ…」
「…え？」
「あいつってさ、基本的に他人は認めないじゃん。自分が大事って感じで。有村とのコトがあったから、それも解らなくはないけどさ」
ポイっと灰皿に投げ入れたタバコを覗き込んで戸倉は話を続ける。
「なのにさぁ…有栖川のためにあそこまでするなんて、何か意外」
「…ああ…そうだね」
僕は、涼がずぶ濡れになって尋ねてきた夜の事を思い出す。
あの時雨で顔が濡れていたから解らなかったけど、たぶん涼は泣いていたと思う。だから一琉クンのところには帰らずに僕のところへ来たのだろう。
きっと泣いているところを見られたくなくて。
泣いている涼を見たらきっと一琉クンはその理由を聞くに違いない。そうしたら、自分の気持ちが揺らいでしまうのが解っていたから―― …
「…涼は―― …本当は寂しがりやだから…。きっと…本音は一琉クンと一緒に居たかったんだと思う」
僕はポツリとそう呟いて、また黙り込む。
居たかったけれど、その選択はできなかった。その選択をしたら、大事な人の願いを叶えてあげられない。
だっだらいっそ自分はどうなってでも、彼の一番望む事をしてあげたい。
その涼の気持ちは痛いほど良く解る。
「だけど―― …一琉クンが４課に戻りたがってたのも事実だし。だから涼は、有村のいう事聞くしかなかったんじゃないかな…」
そう呟く僕に、戸倉はフッと小さな笑い声を上げる。
「わかってないなぁ…。瑠璃沢は、有栖川の気持ち解ってないよ」
「…え？」
きょとんとしている僕を見て、戸倉はクククと思い出し笑いをする。
「あいつさぁ、出向じゃなくて、異動に切り替えてくださいって三登木課長に頼みに行ったんだぜ？」
「…はぁ？」
そんな話初耳だ。びっくりしている僕を見て、戸倉はやっぱりね、という顔をした。
「もう４課には戻る気がないからって。俺にもそれ言いに来てさ…びっくりしたよ」
「…何で…。でもそれじゃ―― 」
「いいんじゃないの？キャリアの道は諦めてでも瑠璃沢と居たいって思ったんじゃねぇの？有栖川は」
「―― …」
涼は一琉クンを４課に戻すためにわざわざ一琉クンと別れて有村とヨリを戻した。
でも一琉クンは、涼の為に４課に戻らない事に決めていた。
それって―― ・・・
ふーっと息を吐いて、天井を見上げる戸倉。僕はそんな戸倉を眺めたまま、混乱した頭の中を整理する
「だから追い返すしかないかなぁって。そうしなきゃあいつ辞めるって言いかねないし。それはこっちとしても痛いじゃん？あんな優秀な奴、そうはいないしさ」
タバコの箱のフタをパカパカと動かしながら、戸倉はな？と僕を見る。僕はそれにうーん、と考えながら返事を返す。
「だけど、一琉クンは４課に戻るって―― 本人から…聞いてるけど・・・」
「それは、瑠璃沢がつまんない意地張ってるからだろ。あいつ強情っ張りぽいもん」
「―― ・・・・」
そばで見ていない戸倉が何故こんなに手に取るように２人の様子が解るのか、僕には理解できなかった。
けれども言っている事は的を得ていて、間違っていない。僕は説法を聞くように、戸倉の話に耳を傾ける。
「変にしおらしい態度なんてとらないで『キャリアなんて捨てて俺を取れ！』って瑠璃沢が言ったら面白いのにな」
「そんな事、涼が言うわけないじゃない」
「そうか？俺は有村のいう事聞いてる瑠璃沢のほうが違和感あるけどな」
「―― それは・・・確かに…」
涼が何を思って有村と会っているのかは解らない。
有村と会っているのは涼の意思で会っているんだから、それをどうこう言う権利は僕にはない。
けど、そんな事いつまでも続けられるはずはないとは思う。
「個人の感情的な問題に口を挟むべきではないと思うけど、このままじゃ…」
ぼそりと言う僕に、戸倉は得意げに答える。
「口なんか挟みゃしないさ。俺は有栖川に戻ってくるなって言うだけ。そのあとはお前に任せる」
「任せるって…そんな事言われても・・・ 」
「いーじゃん。お前のする事にゃ有村も文句は言わねーだろ？」
戸倉はタバコの箱から１本取り出すと火をつけた。それをおいしそうに吸うと僕を見てニッと笑う。
「このまんまじゃ有村の一人勝ちじゃん。俺はお前がそれを阻んでくれるんじゃねーかって密かに期待してんだけどね」
ニマリと笑う戸倉に、僕は呆れた顔をしてみせる。
僕は有村と張り合う気はないし、そもそも偉くなる気なんてさらさらない。
ないけれど、組織というのはややこしいもので、常に何かと何かを比較したがる。僕は不幸な事に有村の対抗馬になってしまっているらしい。
実のところ、自分では全然意識していないんだけれども。
「なに？そこも楽しみにしてるって訳？」
「してるよー。だって俺、お前のファンだもん」
「・・・・応援ありがと。ま、僕は有村のことはどうでもよくて、自分のところが波風立たずに平和ならそれでいいんだけどね・・・・」
「んじゃいいじゃん。決まり！有栖川は受け取り拒否するから、よろしく」
「はいはい・・・」
フフンと嬉しそうに笑う戸倉を見て、僕はしょうがないなぁと呟きながらため息をつく。
「―― 有栖川のコト、よろしく頼むわ」
吸い終ったタバコを消しながら、戸倉は小さな声で僕に言う。
「あいつ、不器用だからさ・・・」
「―― ああ、そうかもね…ある意味ね・・・」
目を細めて戸倉はふーっと息を吐く。それからポンとひざを叩くと立ち上がった。
「さてと、俺戻るわ。んじゃ、またな」
ひらりと手を振り、フロアに戻る戸倉を見送りながら僕は持っていた書類を意味もなく眺めた。
―― さて・・・・どーやって説明したらいいやら・・・
一琉クンを受け取り拒否してくれるのはいいんだけど、涼をどうやって説得すればいいのか。
下手すれば、『余計なことしやがって』と僕が怒られかねない。
涼を攻略するのはきっとかなりの技が必要になる。だったらここは一琉クンから行くしかない。
これから店に帰って、どっちから攻めていくか。僕は作戦を練り始めた。
+ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ ++ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ +
店に戻った僕は、フロアで店の準備をしていた一琉クンを事務所に呼んだ。
「なんでしょう？」
呼ばれた理由がさっぱり解らない一琉クンは、不安げな目で僕を見た。
「あのさ、単刀直入に聞くけど」
「はい」
じっと自分を見上げる僕を、びくびくしながら一琉クンは見返す。
「・・・・桐羽センパイ・・・・・？」
―― まぁいいか。そのまま聞くか・・・・
「今欲しいものはどっちなの？」
「―― はい？」
「将来か、愛か。一琉クンが今必要なのはどっち？」
その質問に、一琉クンは目をぱちくりさせる。質問の意味がわからないといった表情で、首をかしげて僕を見た。
「涼を取るか、キャリアを取るか。一琉クンはどうしたいの？」
「―― あの、それは、どういう・・・・・」
なんて答えて良いか解らないのか、一琉クンはものすごーく困った顔で僕を見た。
正直、そんな質問するだけ無駄なんだけれど、本人の口から聞かなきゃ次の行動に出られない。
「いいから。言ってみて。キャリアの道は涼より大切なの？どうなの？」
「な、なんですかそれ。そんな事どうして今聞くんです？」
一琉クンはあせあせしながら、僕に逆に質問してきた。確かにそうだろう。いきなりこんなコト聞かれたら、驚くのは当然だ。
「―― 聞きたいから。一琉クンが何考えてるのかなーって」
「そんなの、聞いてどうするんです？」
「いいじゃない。正直にこうしたいですって言うだけだよ？涼をお嫁さんにしたいんでしょ？」
「―― いや、あの、そうですけど、じゃなくって！それと仕事に何の関係が――
」
「うーん。教えてあげてもいいんだけどねぇ。一琉クンが正直に言ってくれるなら」
「―― …っ」
真っ赤になって、一琉クンは僕を見る。僕はニコニコ笑って、一琉クンを眺めた。
「―― そんなの、決まってます。涼センパイよりも大事なものなんて、俺にはないです」
言ってくれるじゃないですか。それなら・・・・・
「もし僕が、ここに残ってと頼んだら、どうするの？」
「―― 頼まれるなら、そうします。桐羽センパイが上司として命令してくれれば、の話ですけど」
さすが一琉クン。その辺は抜け目がない。
「じゃあ、４課に戻るっていう話はどうするの？もしかしたら、昇進もできるかもしれないよ？それは？」
一琉クンは一瞬言葉に詰まる。そのまま、返事を考えているみたいだ。
「一琉クン、僕に嘘をついたでしょ」
「―― え…？ウソ・・・？」
「そう。僕が前に４課に戻りたいかって聞いたとき。戻りたいって、言ったよね？」
「言いました…けど。でもあれは・・・・・」
「あれは？」
「…あれは、戻るしかないと思っていたからで、俺本当は―― ・・・・」
一琉クンはその言葉を言おうかどうしようか、考えていた。意地の悪い僕は、先手を打って口を出した。
「大事な人が出来たので４課には戻りません、って言っちゃったんだってね」
クスクスと笑う僕の前で、一琉クンはまた真っ赤になった。口をパクパクしながら、必死に言い訳を始める。
「ちっ…違います！じゃなくって、こっちの仕事もやりがいがあるんで、それでっ・・・」
「それで？仕事が波に乗ったら、涼をお嫁さんにしようとか、そういう事？」
「んなの無理に決まってます。でも・・・・」
「でも？」
僕がん？と見上げたら、一琉クンはふーっと諦めたように息を吐く。
「ずっと、一緒にいるって約束したので・・・・・・・」
「そう。じゃあ、頑張らなきゃね。有村から取り戻すって、約束もしちゃったみたいだし」
「―― な・・・・・なんでそれをっ・・？！」
「だって涼が酔っ払って言ってたもん。"迎えに来るまで待ってるんだ"って」
パタパタと手で顔を仰ぐ仕草をしながら、僕はニマリと笑う。
「すっごい楽しみにしてるみたいだけど？」
大丈夫？と笑って聞く僕を情けない顔で見返して、一琉クンははーっとため息をつく。
「解んないですけど…相手が相手だけに・・・」
僕はその受け答えがおかしくて、プッと笑ってしまう。
「そういう言い方をするってことは、一応張り合う気はあるんだ？」
笑いながらそう聞くと、一琉クンは遠慮がちに目を伏せる。
「まぁ・・・・一応は・・・・・」
「そう」
ふんふんとその答えに首を振りながら、僕は机の上の書類を揃える。
「センパーイ。一琉センパイ？」
事務所の入り口から、聖の声が聞こえた。
「フロアの掃除、終わったんです…か・・・あ？」
ひょこっと覗いた聖は、僕と一琉クンが話をしていたのを察して慌てて出て行こうとする。一琉クンはそちらを見てからまた僕に視線を戻した。
「ああ、もういいよ。ありがと」
「はい」
ペコリと頭を下げて、店に戻っていく一琉クンを見送って、僕はふぅっと息をつく。
―― とりあえず、こっちは確認済み。後は・・・・
涼になんて言い聞かせればいいのか。
そこが一番問題なんだけれども。
思い込んだら聞かない性格だから、きっと僕がさらりと説明したって解ったなんて言ってくれるハズがない。
「どーしたもんかなぁ・・・」
手にしたボールペンをカチカチやりながら、僕は机に肘をついて考え込む。
そんな僕のところへ、湊がぺらぺらとプリントを持ってやって来た。
「陸前センパイ。これなんですけど」
「ん？」
「とりあえず、２名出さなきゃならないんで…選んでもらっといていいですか」
そう言って渡されたプリントの表題を読んで、僕はニヤリと笑う。
「これだ」
「は？」
僕が笑っている意味が解らない湊は、目を細めて首をかしげる。
「あ、いや。何でも。選んで書いておけばいいの？」
「ハイ。今週中にFAXかメールでって来てたんで。お願いします」
「ふーん。了解。じゃ、僕やっとく」
プリントに名前を書き込みながら、一人でいろいろと想像して笑ってしまう。
「うーん、面白そう・・・・」
―― これならイけるかも・・・
あとは一琉クンが頑張ってくれれば。
僕は、プリントを半分に折りたたみながら、またニマリと笑ってしまうのだった。
reliever
END
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