「さみしかった？」
ふっと笑って聞いてくる一琉に、オレはムッとして答える。
「アホか。んなワケねぇだろ」
そう言い捨てて離れようとするオレをぎゅうっと抱きしめて一琉は言う。
「ウソツキ…」
抱かれて上がっていく体温に、火照っていく頬。
こつんとくっつけてくるおでこが、ひんやりしてて気持ちいい。
オレはその感覚に身体を任せて、瞳を閉じた。
■* Chap 08 ： Liar(ウソツキ)
それは目玉焼きが固焼きだったことから始まった。
「だからごめんて言ってるでしょ？」
一琉は新聞を読みながらこっちを見ずに適当に謝ってきた。オレはそんな奴のよそよそしい態度に腹が立ち、新聞にタバコを押し付けてやる。
「何だよその言い方。今日は固焼きなんだなって言っただけだろ？」
「明日からは気をつけます。これでいい？火事になるから危ないって」
バサッと畳んだ新聞を机の上に放ると、一琉はキッチンへ行ってしまう。
「ムカつく！この前からお前変だぞ。オレがなんかしたかよ」
流しで皿を洗う一琉は、一度もこっちを見ようとしない。
「別に何でもないですって。涼センパイの気のせいですよ」
気のせいなわけあるか。
どう考えても、一琉はオレに対して一歩下がって接してる。ちょっと前から、ウチじゃほとんど口聞かないし、遊んでくれない。
ターゲット確保の打ち合わせしてる時も、店で営業してる時も絶対にオレを真っ直ぐ見ない。
夕飯のあとのビールの時なんか、今まで煩いくらいにまとわりついてきたのにここ１週間”ビールなんて飲まない”状態だ。
一体何だってんだ。文句があるなら、ハッキリ言えばいいじゃねーか。
オレにしてみたら毎日そんな気分なのに、一琉はこんなオレを見ては、はーっとため息をつくばかり。
で、だんだんイライラしてきたオレは、朝から一琉にケンカをふっかけた、いや、目玉焼きが固焼きだなって言ってみた。
そしたら。
前だったら、”ごめんね、明日は気をつけるから”って言ってくれたのに、今日は面倒くさそうに”ごめんて言ってるでしょ”だと。
あー気に入らない。ムカムカする。
ベランダでタバコを吸って振り返ったら、一琉の奴はもう支度を済ませていた。
「先に行きますから」
それだけ言い残して奴は出かけてしまう。かぎ忘れないでくださいね、とか、チコクしちゃダメですよ、とか言ってくれたっていいのに。
「――なんだよ…っ」
何だか悲しくなって、オレはソファのアヒルをグーで殴った。
「バカ一琉っ」
こんなに怒ってる事を一琉は解ってるんだろうか。
そしてオレは、一琉がそっけない事になんでこんなに腹が立つんだろう？
解りきってる理由なのに、まだそれを認めたくない。もう本当は、ちゃんと解ってるのに。
ちゃんとこっちを見て欲しい。
いつでも優しくして欲しい。
今までみたいに、煩いくらいにそばにいて欲しいのに。
なのになんで。
今になって、どうしてそんな風に距離を取るの――？
「だからイヤなのに…」
誰かを好きになると、こういう煩わしい事になるのがイヤだ。うっとおしいし、バカバカしい。
そう思っているのに、なんで繰り返しちゃうのかな…
「あーもう疲れた。やめやめ！」
考えてても仕方ない。とりあえず仕事に行かないと。
オレはタバコを灰皿に投げ入れると、支度をするため部屋に向かった。
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「うー…」
月末恒例の報告書を書きながら、一琉は頭を抱える。
「これ先月も書いたしなぁ…」
さっさと完成させて出してしまったオレは、そんな一琉をいつものようにテーブルに座って眺めていた。
「センパイこれ――」
と言いかけて、一琉ははっと手を止める。
「いやいいです」
赤ボールペンをクルクル回して、一琉はまた考え込み始める。
聞いてくれたらちゃんと助言してやろうと思っていたのに、予想通りな態度を取る一琉にまたムカムカしてきた。
「あーもうダメだ。今日残業しよ…」
ポツリと呟く一琉を横目に、オレは仕返しのように言い返してやった。
「やってれば？朝までにはできんじゃねーの」
そう言ってテーブルから飛び降りるオレを、一琉はちょっとムッとして見た。
でも、そんなの知った事か。
悪いのはぜーんぶお前だ。
オレはふぃっと横を向くと、小声でお先、と言って店を出た。
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「っとにサイテー」
それは自分に対して言ってるのか、一琉に対して言ってるのか解らない。６本目のビールを空けながら、オレはゴロン、とソファに寝転がる。
昨日までの残りのもので適当にメシを作って食った後、あるだけのビールを冷凍庫に入れて冷やした。
ムカつくときにはビールでも飲んで発散してやりゃあいい。そうすりゃすぐに忘れられる。
そう思い立って飲み始めたのに、なんだかどんどんさみしくなっていく。
「遅せぇな…」
カチっと３時に針が合う音がする。
新しいビールを開けたオレは、それを飲みながら部屋を見回す。
「―― こんなに広かったっけ…」
今まで、部屋が広いなんて感じた事なかった。一人の時だって、これでちょうどいいくらいって思っていたのに。
一琉がいないだけで、こんなに広いなんて。
空けたビールの缶をテーブルに置くと、オレはクッションをきゅっと抱いて目をつむる。
じゃれたりケンカしたりしてる時の一琉の顔を思い出しながら、オレはそのうち眠ってしまった。
「う…ん…？」
どのくらい寝てたのか解らないけど、けっこうぐっすり寝てしまっていた。
ふっと目を開けたら、隣で一琉がビールを飲んでた。
「あんなに飲んだらなくなっちゃうじゃん」
次の休みに買いにいかなくちゃね、と言って、奴は飲み終わったビールの缶をゴミ箱に捨てに行く。
それからまた戻ってきてオレの隣に座ると、ゆるく笑った。
―― あ…れ？
いつもの一琉に戻ってる。
その顔を見た瞬間に、それが解った。
だって、その笑い顔を久しぶりに見たから――…
「…ただいま」
そう言って笑うと、オレをふわりと包む長い腕。
「さみしかった？」
「アホか。んなワケねぇだろ」
つれなく言い捨てて離れようとするオレをぎゅうっと抱きしめて一琉はクスッと笑い声を立てた。
「ウソツキ…」
抱かれて上がっていく体温に、火照っていく頬。
こつんとくっつけてくるおでこが、ひんやりしてて気持ちいい。
オレはその感覚に身体を任せて、瞳を閉じた。
「ごめんね。まだ怒ってる…？」
耳元で囁いてくる声に、怖いほど安心してる。安心して、嬉しくて、おもわずきゅっと抱きついてしまう。
「怒ってる…よ…」
「……じゃあ、これで許してくれる…？」
額に、柔らかく触れる体温。背中から腰へと滑る指に、身体がビクリと反応してしまう。唇が額から頬へ移って、右から左に移動する。
一琉の右手の指がオレの唇をツツっと撫でた。
―や…どうしよ…う…
それ以上は困る。
まだ…。
と思っていたら、一琉はクスッと笑ってオレの顔を覗き込んだ。
「こういうときのセンパイ、すごく可愛いから大好き」
「可愛い言うな」
「…何で？ホントは嬉しいクセに」
きゅっと指をつないで、一琉はもう一度頬にキスしてくる。
「…さて、もう寝ないと、明日チコクしちゃうから」
「うん…」
オレはソファの上で一琉を見上げて返事を返す。
―…ウソツキ…って何なんだ？
それに、どうしていきなりいつもの一琉に戻っちゃったんだろう？
さみしかった？って、何でその事知ってんだ…。
オレはちょっと不思議に思いながらも、その理由は聞かない事にする。
聞かなくても、もう良くなった。
絶対に誰も好きにならないと決めたけれど、それはもう無理だ。
だって、こんなに安心してる。
一琉がそばにいるだけで。
だから。
好きになってもいい。
許しちゃえば、いい。
「センパイ先にお風呂入って」
待ってるうちにまた寝ちゃうから、と一琉はビールの缶を捨てながら俺に言う。
そんな奴の背中を見ながら、オレは小さな決心をするのだった。
Liar
ＥＮＤ
