「ひとりぼっちにしないで…」
きゅっと抱きついてくる涼センパイの体温を感じながら、俺は目を閉じる。
―― やっぱりダメだ
このヒトが好きだ。
たとえ、それが尊敬する先輩の”昔の恋人”でも。
どうしても手に入れたい。
長い睫毛にキスを落として、その身体を抱き返した。
■* Chap 09 ： Wish（願望）
「有栖川さん、まだ残業ですか？頑張りますね」
テーブルの上の書類と睨めっこしていた俺の隣に座って、国宮が缶コーヒーを差し出す。
「国宮こそ。どーしたのこんな時間まで」
時計は2時を回ってて、店の片付けもすっかり終わってる。いつも最後まで残ってる桐羽センパイでさえ、もう帰ってしまって誰も居ないと思っていた。
「明日までにどうしても済ませてしまわないといけない分析があったもので。でも今日聖が早引きした代わりに店に出たので、今までかかってしまって」
国宮はふーっと息をついて俺を見る。
「最近、瑠璃沢センパイとケンカでもしてるんですか？」
不意打ちな質問に俺は飲みかけの缶コーヒーで咳き込んでしまう。
「な、何で？別に何もないけど。何か俺たちヘン？」
「…いや、だってこのごろ２人で話してるところ見かけないし。いつもだったら一緒に来るのに、今日も別々に出勤してたから変だなぁって」
…ああ、そうなんだ。
意識なんて何もしてなかったけど、俺ってそんなにいつも涼センパイと一緒にいたんだ。
有村先輩との事を聞いてから極端にセンパイとの接触を避けてたから、さすがにみんなも気になったらしい。
「聖が心配してましたよ？涼センパイ様子が変だって」
「…うん…」
涼センパイにしてみたら、自分が避けられている理由なんてさっぱり解らない筈だ。だからイライラしてるのは俺だって解ってる。
でも、その理由を話す訳には行かないし、だからって今まで通りにやっていくことも出来ない。
俺だって、どうしたらいいか解らない。どうにかしたいって毎日思ってるのに…。
「はいこれ。舐めて見て下さい」
国宮はポケットからカードケースを取り出すと、その中から小さな付箋紙みたいなのを取り出した。
「何コレ」
首を傾げてそれを眺める俺に、いいから舐めろと催促する。仕方ないので、ペロリと舐めるとそのまま奴に返した。
「ふーん…」
紙の色が赤く変わっていくのを見ながら、国宮はニヤリと笑う。俺はそんな奴の不敵な笑いに何だか嫌な予感を感じながらも恐る恐る聞いてみる。
「なぁ…それ、何？」
「…教えてあげてもいいですけど。高いですよ？」
「はぁ？何だそれ。いいじゃん、教えろよ」
「これ、試験紙です。この色反応で”ある事”が解るんですよ」
「ある事って？」
「それ教えちゃったらつまらないじゃないですか。でも、ヒントあげます」
「ヒント？」
フフフと笑って、国宮は俺を面白そうに眺める。しばらく沈黙が続いてから奴が言ったヒントは意味不明だった。
「瑠璃沢センパイも同じ結果でしたよ」
「――…だから…？」
それで何が解るっつーんだよ。
不満そうな顔をして試験紙を眺める俺に、国宮は言う。
「聞いてみたらいいじゃないですか。部屋に帰れば瑠璃沢センパイが居るんだし」
「…そりゃ…」
聞けばわかるけど。今はそんな会話も出来る状態じゃない。
「さてと、もう帰れます？よかったら僕鍵締めていきますけど。どうします？」
「ああ、じゃ頼む。準備するからちょっと待ってて」
書類を片付けると、ロッカーにカバンを取りに行く。その間も、"試験紙"のことが気になって仕方ない。
―― 同じ結果…ねぇ…
あの国宮の笑いが妙に引っかかる。ぜーったい何か企んでる気がする。
でも聞いてみたい…。
「ごめん。じゃお先」
「はい。お疲れ様でした」
事務所のドアの鍵を閉めている国宮に声を掛けると、俺は店を出る。
ひんやりとした風が、身体に気持ちいい。
「もう寝ちゃってるだろうしなぁ…」
ケータイで時間を確認したらもうすぐ３時になるところだった。いくらなんでも、こんな時間まで起きてる訳ない。
「ふあ…」
時間を確認したら急に眠くなって、欠伸が出てしまった。俺は足を速めて、部屋への道を歩いた。
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「ただい…ま…」
部屋に入ったら、ソファの上でアヒルを抱いてくーくーと眠る涼センパイが。
テーブルの上に転がる６本の空き缶。１日２本までって決めてるから、これじゃどう見たって飲みすぎだ。
飲んだ理由は大体推測がつく。それが自分のせいだと解るだけに、文句も言いにくいんだけど。
「―― もー…こんなトコで寝ちゃって…仕方ないなぁ…」
起きて下さい…と肩を揺する俺の首に、涼センパイの腕が伸びた。
「…え…？」
寝ぼけてるのか、センパイは俺にしがみついて寝言を言いはじめた。
「…一琉のバーカ…お前なんか…」
そこまで言って、言葉が止まった。しばらくだんまりで、寝息だけが聞こえる。
それからちょっと間を置いて小さな寝言が聞こえた。その寝言で、眠かった意識は一気に醒めてしまった。
「ひとりぼっちにしないで…」
きゅっと抱きついてくる涼センパイの体温を感じながら、俺は目を閉じる。
―― やっぱりダメだ
このヒトが好きだ。
たとえ、それが尊敬する先輩の”昔の恋人”でも。
どうしても手に入れたい。
長い睫毛にキスを落として、その身体を抱き返した。
もし、涼センパイを俺が手に入れたら、有村先輩はどう思うんだろうか。
そんな事を考えながら、目の前にある綺麗な顔をじっと眺める。
「…センパイ…」
抱いていた身体をそっと元に戻すと、その唇にゆっくり近づいた。
「―― 好きだよ…」
酔っているせいか、ほんのり熱い唇を塞いで髪を撫でる。キスにぴくっと反応する身体が可愛くて、もっとしていたくなってしまう。
でもこの状態で目を覚まされたら、俺が半殺しの目に遭うのはまず間違いない。
ちょっともったいないな、と思いながらも、起こさないようにそっと離れて冷蔵庫にビールを取りに行く。
「う…ん…？」
しばらく眺めていると、涼センパイの目がゆっくり開く。眠そうな顔で俺を見上げて、子供みたいにパチパチと瞬きをする。
「あんなに飲んだらなくなっちゃうじゃん。次の休みに買いに行かなくちゃね」
飲み終わったビールの缶をゴミ箱に捨てて、ソファに戻ると俺はセンパイの身体をそっと抱き寄せた。
「…ただいま」
いつもどおりの笑い顔を見せる俺を、センパイはじっと見上げてる。
「…さみしかった？」
そう聞いたら、ムッとして無愛想に返事をくれた。
「アホか。んなワケねぇだろ」
そう言い捨てて、センパイは腕から離れようとする。そんな涼センパイをぎゅうと抱きしめて、俺は小声で言ってみた。
「ウソツキ…」
寝言の事は話さずにそれだけ言うと、センパイのおでこにこつん、と自分のおでこをくっつけた。
「ごめんね。まだ怒ってる…？」
ずっと避けていたことを謝りたくて、そうやって聞いたら思ったとおりの答えが返ってきた。
「怒ってる…よ…」
目を閉じたまま不機嫌に言う涼センパイ。俺はそんなセンパイの背中に指を滑らせた。
「……じゃあ、これで許してくれる…？」
熱っぽい額にキスしてから、頬に唇を移す。
―― もう１回したいかも…
さっきキスしたときの感覚を思い出して、俺はおもわずセンパイの唇に指を滑らせてしまう。
「……や……」
ビクリと震える身体と、小さく聞こえる声。
このまま勢いでいけそうだけど、たぶん嫌がられる気がする。
何となく涼センパイの気持ちが解って、俺はそこまでで止めておく事にした。
「こういうときのセンパイ、すごく可愛いから大好き」
「可愛い言うな」
「…何で？ホントは嬉しいクセに」
きゅっと指をつないで、俺はもう一度センパイの頬にキスを落とす。
「…さて、もう寝ないと、明日チコクしちゃうから」
「うん…」
ソファの上で座りこんでいるセンパイにそういうと俺はテーブルの上の空き缶を片付け始めた。
『ウソツキ』発言が不審だったのか、センパイはアヒルを眺めて考え込んでいる。
「先にお風呂入って」
多分ほっておくと、このまま朝までここで寝てしまいそうな感じがする。
俺のその言葉を聞いたセンパイは、フラリと立ち上がるとフロへ歩いていく。
「あ、聞くの忘れた…」
国宮が言っていた試験紙の結果の話を涼センパイに聞くのを忘れていた。
「でもまぁいいか」
明日の朝にでも聞いとけばいいか。もういつだって聞けるんだし。
有村先輩は有村先輩、俺は俺なんだからそんな事気にしなくったっていい。
思わぬ寝言を聞けたせいで、何か吹っ切れた気がする。いままでぐじぐじと悩んでいた自分がバカみたいに思えてきた。
「頑張れ一琉」
冷蔵庫に１本残ってたビールを出して一気に飲み干して、自分を元気付ける俺だった。
Wish
END
