「涼の昔のコイビトの事…気になる…？」
桐羽センパイは、フッと笑って俺を見上げた。
「…気になる…に決まってるじゃないですか…」
躊躇いがちに答える俺に、桐羽センパイはしばらく黙っていた。
何て言おうか考えながら、言葉を選ぶ。
「…そのヒトさぁ…ほかの女の子とケッコンしちゃったんだよね…」
■* Chap 07 ： Indecision（優柔不断）
「いーちるクン」
後ろから掛けられる、爽やかなんだけれど魔術のような声。俺は昼飯を食い終わり、休憩室でちょっと昼寝でもしようかと思っていた所だった。
引力のような力を背中に感じながらゆっくりと振り返ると、そこにはニコニコ笑った桐羽センパイが立っていた。
「―― 桐羽センパイ…今日は何ですか？」
またなんかとんでもない事言い出すんじゃないだろーな。
俺がじっと疑り深い眼差しを向けていたら、桐羽センパイはふふっと笑って俺の隣に座る。
「やだなぁ、そんな警戒しないでよ。最近どーなのかなぁって思ってさ」
「…どうって別に。フツーですよフツー。何ごともなく平穏に過ごしてますからご心配なく」
「へーえ…そーなんだ。つまんないの」
「つまんないって。何ですかそれ」
はーっとため息をつく俺を面白そうに眺める桐羽センパイ。何かを企んでいるような笑った目が怖い。
センパイはフフフと笑って口を開いた。
「涼ってさ、一琉クンみたいなタイプに弱いのかなぁ…」
「…はい？」
そんな事知るか。っていうよりそうなのかどうか俺が教えて欲しい。
涼センパイはそんなこと絶対に口に出すタイプじゃないから、今まで何十回と聞いてみたけどいつも答えは「さぁ？」で終わりだ。
「…知りません。涼センパイは、何も言ってくれないし」
「だろうね。涼はそんな事絶対に言わないよ。でも、逆にそれで気に入ってるって解るんだけどね」
超意地っ張りだから、と桐羽センパイはクスクス笑う。
「うーん…でも、今までの涼を見てると一琉クンは結構イケてる線だと思うよ？」
「…今まで…って？」
「…ああ…そっか。一琉クンは、あの事知らないんだ」
"あの事"って何の話だろう。それって、もしかしたら涼センパイが１課から飛ばされた話と関係あるんだろうか。
そしてそれは、きっと俺に似てる知り合い、にも関係あるのかも知れない。
「この話したら、涼怒るかもしんないけど…」
桐羽センパイはそう言ってから少し間を置くと、ふぅっと息をつく。俺は仕方ないので自分から聞いてみた。
「俺、涼センパイの知り合いに似てるらしいんですけど…それって――」
その言葉を聞いて、桐羽センパイは俺を見上げた。それから「ああ、そうかもね」と呟いて小さく笑う。
「涼の昔のコイビトの事…気になる…？」
桐羽センパイは、フッと笑って俺を見上げた。
「…気になる…に決まってるじゃないですか…」
躊躇いがちに答える俺に、桐羽センパイはしばらく黙っていた。
センパイは何て言おうか考えながら、言葉を選ぶ。
「…そのヒトさぁ…ほかの女の子とケッコンしちゃったんだよね…」
「――…」
それって――…。
俺はしばらく何も言えなかった。普通に別れたならまだしも、それはどうなんだろ…。
どうりで、”誰も信じない”し、"誰にも近づかれたくない”訳だ。
自分の頭の中でちょっと整理してから、俺は話の続きを桐羽センパイに聞いてみる。
「…どんな相手だったんですか？桐羽センパイは、知ってるんですよね」
「…うん…まぁね」
桐羽センパイの返事がどことなくはぐらかし気味なのが妙に気になる。センパイはドアの方をみて、誰も来ないのを確認する。
「涼が、付き合ってた相手はね…」
そこまで言ってまた止まる。よっぽどヤバイ奴なのか？本店の誰かなら、俺も知ってる奴かもしれない。
「―― 有村だよ。１課の課長補佐の。一琉クンも、よく知ってるんじゃない？」
「―― … 有村…先輩…？」
その名前を聞いて、俺は固まってしまった。
まさか。何で。
その人は、俺が一番尊敬している人だった。
本店でも一番の出世頭で、超エリートだ。でもエリートなだけじゃなく、有村先輩は本当に出来る人なのだ。
確保率だって年間通してほとんどトップだし、先輩と組んだ新人は１年で驚くほど成長するらしい。
そんな先輩が、まさか涼センパイの昔の恋人だったなんて―…
「涼と有村は新人で入った時から２人で組んでて、部屋も一緒だったから最初はそれで仲良くなったみたい。でもそれがだんだん―…」
恋になってしまった。
そういう事か。
「だけど有村先輩の奥さんってたしか―…」
「稲村部長のお嬢さん。部長がすっごい有村のこと気に入っちゃって、ほとんど無理やり進めたって話だけど」
桐羽センパイは肩をすくめながらそう言って笑う。それはどこにでもある、『よくある話』なんだけど、でも。
「それで、有村先輩は涼センパイを捨てて――？」
「…うん、だって有村は涼にずっとその事黙ってたらしいから。だから、涼が部長に酷い事言われちゃってね…」
「…酷い事…？」
「―― その可愛い顔で、今度はどんな男を騙すんだ？…って」
「――……」
何だか無性に腹が立ってきた。もともと俺も部長は好きじゃなかったけど、この話を聞いたらマジで殴りたくなってきた。
ムカついて殴ったっていう涼センパイの気持ちが良く解る。
「だけど、その事があってから涼はホントによく頑張ったよ。仕事に打ち込んで全部忘れてやるくらいの勢いでさ」
桐羽センパイはそう言うと目を伏せた。
「おかげで今のウチがあるようなもんだし。それまでただ歓楽街の情報収集所だったのに、今じゃ１課と同じくらいの扱いになってるからね」
本当に涼はすごいよ、と桐羽センパイは俺に言った。
俺はしばらく何も言えなかった。何だか聞かない方が良かったような気がする。
なんで、よりによって…有村先輩なのかな…
あんな風になりたいと、俺はいつも思いながら有村先輩を見ていた。
なのに、その人は好きな人の昔の恋人。しかも"彼”を捨てたヒドい男――…
頭が混乱してきて黙り込んでしまった俺を、桐羽センパイは困ったように見ている。
手元にある缶コーヒーを一口飲んで、俺はとても長いため息をついた。
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「一琉？」
ハッと気がつくと、涼センパイが缶ビールを差し出して俺の前に座っていた。
「どした？んなに考え込んで」
らしくねーじゃん、とセンパイは小首を傾げる。俺はそんなセンパイを見返してふふっと笑ってみせる。
「…何でもないですよ」
でもそんな俺の態度が気になったのか、涼センパイは俺の前ににじり寄ってきてじーっと顔を見上げてくる。
「何か隠してるだろ」
「隠してないですって」
「ウソだ。ぜーったい隠してる。だってお前今日全然しゃべってねーじゃん」
「え…そう？」
「帰ってきてからずーっと何か考え込んでてさ。店でもあんま笑ってなかったし」
あやしい、と疑りながら、涼センパイは俺のおでこにビールを押し付けた。
「冷て！」
うーっと額を押さえる俺をみて、涼センパイはニッと笑う。
そんなセンパイのやんちゃな笑い顔が可愛くて、俺は思わずへらりと笑ってしまう。
だけど。
―― 有村先輩にも、こーやって笑ってたんだよなー…きっと
２人がこんな風に部屋で楽しそうにじゃれている場面を想像して、俺はまた無限ループに入っていってしまう。
引越しの前日に、初めてここにきたときに涼センパイが俺に見せたあの表情を思い出す。
知り合いに似てるといいながら、俺を見つめて涼センパイが考えていたのは有村先輩の事―…
だとしたら、センパイはきっとまだ心の何処かで有村先輩の事を好きでいるのかもしれない…
俺はとてもじゃないけど、有村先輩には男としても人間としても遠く及ばない。
それなのに、涼センパイに好きになってもらおうなんて、思い上がりもいいトコだ。
と、考え始めたらキリがない。
で、また無口になって、涼センパイはそんな俺を見て怪訝な顔をする。
「まーいいや…。遊んでくれないならもう寝る」
つまんねー、と言い残してセンパイはビールを俺にぽいっと投げて風呂に行ってしまった。
遊んであげたいのはヤマヤマだけど、どうにも気持ちが乗らない。
たぶん俺が１人でこんな風にぐじぐじ考えてるだけで、涼センパイはそんな事気にしないのかもしれない。だけどどうしても涼センパイが俺に有村先輩を重ねて見ているように思えてしまって、どんなに笑ってくれても素直にそれに答えられない。
「―― バカだよなぁ…俺って…」
有村先輩なんかどうでもいい。俺だけを好きになって。そう思ってしまえば済む事なのに。
小さくため息をついてからビールをプシュっと開けると、一口飲んだ。
「１人で飲んでも、全然うまくねー…」
いつもはおいしいはずのビールがなんだか苦く感じる。
煮え切らない自分が嫌になって、半分残ったままのビールの缶を眺めていた。
Indecision
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