「赤だったらスキ、青だったらキライ？じゃあ紫だったらどっちでもないってことか」
ペロリと舐めて、試験紙の色が変わっていくのを眺めた。
「どうです？聖や香流君で試したら、結構当たってるって言ってましたけど」
国宮はどれ、と言ってオレの手にある試験紙を覗き込む。
「―― 赤…」
恋愛リトマス紙の判定に、自分の目を疑った。
■* Chap 06 ： Immediateeffect（即効性）
「あち！」
飲もうとしたコーヒーが熱くて、思わずカップをゴン！と置いてしまった。
「あ。それじゃなくてセンパイのはテーブルの上」
そっちを飲んで下さい、と一琉はパン皿を取りながらオレに言う。
チーンとトーストの焼きあがる音に、ジューとベーコンの焼ける音。テーブルに座って、ぼーっとタバコを吸うオレの前に次々にメニューが出てくる。
「今日のは半熟か」
目玉焼きをフォークで刺して、黄身を確認すると一琉は小さく笑って言う。
「固焼きがヤダって言ったから、今日はちゃんと半熟にしときましたよ」
目の前に焼けたトーストとベーコンが出された。キツネ色にこんがり焼けたトーストを摘んで自分の皿に乗せるとオレはそれを角からかじる。
「今日って、ミーティングの日だっけ」
トーストをかじりながらそう聞くオレに、一琉は首を傾げながら答える。
「あー…そうでしたっけ。今週やるって言ってましたよね。課長」
「うん。そんな気がする」
手を伸ばして蜂蜜を取ろうとすると、一琉はそれをとって渡してくれる。丁寧にフタまであけてくれたので、トーストにかけるとボトルをまた一琉に返す。
「最近大口のターゲットを捕ってないから、その事で何か話でもするつもりなんじゃないですか。きっと」
きゅっとフタを閉めながらそう言うと、一琉は自分も食事を始める。
何気ない朝の食事。でも、こんなまともな食事をするようになったのは一琉が一緒に住み始めたからだ。
今まで、オレの朝メシは１０秒チャージで済んでいた。基本的に低血圧なので朝メシなんてテキトーでよかった。
だったんだけど、今は起きてくると毎朝こんな風に朝メシが準備されてるからオレはイスに座って食うだけ。
最近は猫舌対策にと、奴は先にオレの分のコーヒーだけをカップに淹れて置いておく。ぼーっとしてて間違えなければ、ちょうど飲み頃のコーヒーがばっちり準備されている訳だ。おまけに一琉は自分が休みでもちゃんと朝飯は作ってくれる。そこまでされたら、もう食わないわけにもいかない。
「本店の方もかなり締め上げが厳しくなってるみたいですよ。この前４課ん時の連れに会ったら、もうやってらんないってボヤいてましたから」
トーストをかじりながら、一琉は新聞を広げた。オレは吸いかけだったタバコを取って、また吸い始める。
しばらく会話はなく、のんびりした時間が流れる。これも今までのオレの生活にはなかった事でなんだか不思議な感じがする。
「あー…面倒くせぇ。慶吾の説教長ぇしなー」
慶吾は若い割には話が長い。戦後生まれのオヤジかと思うくらいの話の長さで、聖なんかは時々聞いていられなくなりコックリしてしまうことがある程だ。
「さぼっちまうか」
窓の外は仕事するにはもったいないようないい天気だ。こんな日は家でゴロゴロしてるに限る。
ふーっと煙を吐いて窓の外を眺めているオレに向かって、一琉は呆れたような声でこう言った。
「またぁ。んな事ばっか言ってると、課長泣いちゃいますよ？」
ホラ準備してください、と一琉はオレを急かしながらテーブルの上の皿を片付け始める。
こんな風に過ぎていく毎日に、だんだん慣れっこになっていく。ずっと一人で平気だったのに、今じゃ一琉がいる事が当たり前になってる。
洗い物を片付けるその背中をぼんやり眺めながら、オレは小さくため息をついてしまう。
―― これじゃあの時と一緒じゃん…
同じ失敗は二度としないと決めたのに、また繰り返してしまいそうな自分が嫌になる。
他人は所詮他人。本当に信じられるのは自分だけで、そばにいてくれる誰かの存在に安心するなんて一瞬の気の迷い――…
あんな痛い思いは、もう二度としたくない。
「何やってんですか。ぼーっとして。遅れちゃいますよ」
その声にハッとして顔を上げる。一琉は変に思ったのか、首を傾げてしばらくこっちを見ていた。
「あ、ああ悪ぃ。ちょっと考え事しちゃって」
ごまかし笑いをしてリビングを出て、オレはそそくさと自分の部屋へ行く。
「…そうだ、その手があるじゃん」
クローゼットから今日の服を選びながら、小さく呟く。
オレだって鈍くはないから、一琉が自分の事どう思ってるかなんてもう気づいてる。気づいてるけど、知らない振りをしてるだけ。
「ダメなもんはダメだし」
一琉との間にちゃんと距離を置くにはこの方法しかない。そうすれば"ただの同居人"でうまくやっていける筈だ。
―― 付き合ってる相手がいるって、言っちゃえばいいんだよ。そうすりゃ…
「よしっ」
グッと拳を握って、オレは早速その作戦を実行する事にした。
+ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ ++ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ +
「連休ですか？いつでもいーですけど」
聖は勤務表を眺めながらイチゴミルクをすする。
「どっか行く予定もないし。涼センパイに合わせます」
夏季連休の取得予定を決めてくれと桐羽に言われ、オレと聖は２人でいつにしようか相談をしていた。８月ならいつでもよく、連休で取っても、バラバラに取っても構わない。
「きっと清人センパイはもう予定が埋まってるだろうから、それを聞いてから決めたほうがいいんじゃないですか？」
目を細めながら聖は勤務表を手に取る。
「去年だって、１週間じゃ足らないとか言って有休もくっつけて休んでましたもんね。あの人」
どーせ今年も一緒ですよ、と呆れ顔で言うとまた勤務表をテーブルに置いた。
そのうち、一琉と香流も戻ってきたのでオレは２人に勤務表を見せる。
「お前らいつにする？聖はいつでもいーんだってよ」
香流は真剣な顔で勤務表を覗き込む。一方、一琉は興味なさそうにそれを見ていた。
「こっからここまで。休みください」
持っていたボールペンで休みを書き込んだ香流を見て、一琉ははぁ？と声をあげる。
「アホか！半月も休んでどーすんだよ！それじゃ俺の確保率が落ちる。半分にしろ」
貸せ、とペンを引っ手繰って、一琉は半月分書き込まれた香流の休みを半分に削る。香流はそんな一琉の行動に不満そうな声をあげた。
「お前さぁ、夏だよ？夏っ。バカンス満喫するのに、1週間なんて短すぎて何もできないじゃねーか」
「バカ言ってんじゃないよ。大企業のOLかお前は」
「俺は真剣だぜ。１年に1回の夏だぞ？この季節を逃していつ遊ぶっつーんだよ」
「この季節って、１年中遊んでんだろーが。とにかく休みは1週間だけにしろ。それ以上は取るな。解った？」
ピシャリと言い切ってペンを返す一琉を、香流は恨めしそうに眺める。
「ああ、そういえば涼センパイは？いつでもいいんすか？」
香流は勤務表とオレの顔を交互に見た。
―― そだ…作戦実行しなきゃ
朝考えたあの"作戦"を実行する絶好のチャンスがやってきた。聖と香流にもそう思わせとけば、さらに効果UP間違いナシだ。
「…俺は、後半に1週間もらう」
「へぇ、センパイが指定なんて珍しい。何か予定でも？」
「たいした予定じゃねぇけど…一応ある」
「へーーっ。どんな予定？」
香流は興味津々にオレに聞き込みをしてくる。一琉はそんな香流を呆れて眺めていたが…
「旅行に行こうって、誘われたから」
それを聞いて、きゅっと大きくなる一琉の目。そんな話聞いてない、という顔でオレを見た。
「ええーっ！誰に誰に？」
後ろで聞いていた聖まで飛んできて、教えてくれとまとわりついてくる。
「誰…って。そりゃお前、２人で行くんだから…そういう相手だよ」
「そういう相手って？！どういう相手なんですか？」
まだコドモの聖には、その言い回しがピンと来なかったらしい。それならはっきり言ってやるか。
「―― 彼氏」
「？！」
ニコッと笑うオレに聖は固まる。その反応が面白くて、思わずぷっと笑いそうになるのをこらえて話を続ける。
「か彼女かは内緒だけど。ま、そんなトコ」
カタンと引いたイスに座った一琉は、じーっとこっちを見た。
その目は、オレの言葉がウソか本当かを確認しようとしている目だった。
「じゃあ決まり。清人と俺は前半に休んで、涼センパイと聖は後半ってことで」
彼氏発言には特に突っ込まず、一琉は勤務表に休みの期間を書き込んでいく。
「後は好きな所へどうぞ」
ぶっきらぼうに言葉を吐いて、一琉はこっちへ勤務表を投げてよこす。
―― んだよ…。その態度はっ
自分で怒らせたクセに、無愛想にされると何だか腹が立つ。
オレは自分の気持ちに上手く整理をつけれないまま、勤務表に休みを記入した。
+ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ ++ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ +
あの後、一琉は一度もオレと口を聞かなかった。店が終わった後に気がついたら先に帰ってしまっていて、部屋に帰ったらもう寝ていた。
「一琉」
ドアをコンコンとノックして名前を呼んでも返事はない。仕方ないので、ちょっとだけドアを開けてみた。
ベッドにごろんと転がって雑誌を読んでいた一琉は、本の端から目だけ出すとこっちをチラッと見てくる。
「…何？」
相当怒っているらしく、声も低くなってる。オレは中に入ってドアを閉めるとベッドの脇まで行って腰掛けた。
「…なんで怒ってんの」
そんな事、聞くまでもないのに何で聞いてんだか。オレは自分に呆れながら、一琉の返事を待った。
「…何でそんなウソつく訳？」
本をバサッとサイドに放かると、一琉はオレの隣に座る。
「…ウソ？」
オレはそう聞き返して一琉を見上げた。いつものタレ目が、ちょっとつり上がってる。
「ウソついてるじゃん。彼氏が居るなんてそんなすぐ解るウソをなんでつくの？」
肩を引き寄せる腕を払えなくてそのまま目の前に一琉の顔が。
―― …なに…？
心臓が、さっきの倍の速さで鳴り始める。初めて見る一琉の真剣な顔に思わず見惚れてしまう自分に気づいて、オレはさっと顔をそむけた。
「…ウソなんか…ついてない…ホントに出かけるんだから」
「…ふーん…誰と、どこへ？」
「そんなの…お前にカンケーないじゃん」
「関係ないなら、言えるでしょ？隠す事ないし」
「…う…」
言える訳ない。そんな予定は最初からないから。
言い返せなくて黙り込んだオレを見て、一琉はクスッと笑った。
「…ちゃんと、言えばいいのに」
「え…？」
「誰かにこうやって、近づかれるのが怖いならちゃんと言えばいいのにって」
髪を撫でる指が心地良い。
―― なんでそんな事まで気がついちゃうのかな…だからダメなんだよ。そんなに優しくされたら―…
肩に額をコツンと当てると、小さな声で言った。
「…怖いよ…。だからこれ以上近づかないで。お願いだから」
―― 近づかれる事じゃなく、いつか居なくなってしまうのが怖い。そばに居なければ、離れていく事に怯える必要もない。
いつまでも過去に囚われている自分はおかしいと思う。思うけれど、そんな簡単に忘れられるほど単純な性格でもない。
だから、誰も信じないことで自分を守ってきた。
「…じゃあ、怖くなくなるまで待つよ」
きゅっと抱きしめられて、返す言葉が無い。一琉は小さく笑って言葉を続けた。
「センパイが、オレの事ちゃんと信じてくれるまでずっと待ってる。それならいいでしょ？」
待つなとは言えず、オレは返事を返さなかった。返さなかったけど、その代わりに態度で返した。
広い背中に腕を回してきゅっと抱く。顔を肩に押し付けて黙っているオレの髪をさっきと同じように撫でて一琉は耳元で囁く。
「一緒に寝る？」
「―バカっ！」
せっかくいい気分だったのに、その一言でまたいつもの調子に戻ってしまった。
「真剣なのに」
ちょっと笑いながらそう言うヤツに枕を投げつけると、オレはさっさと部屋を後にする。
「エロ一琉っ！お前の事なんかぜーったいに信じないっ！」
捨て台詞を吐いて、ドアを思いっきり閉めてやる。
「まったく…」
文句を言いながらも、本当はちょっと頷いてしまいそうだった気持ちを見えないところへ押し込める。
心臓は、まだドキドキしてる。
―― 今日、変な夢見そう…
はーっと長いため息をつくと、オレは自分の部屋へ入るのだった。
+ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ ++ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ +
「面白いもの？」
仕事が終わって店が開くまでの間、休憩室でまったりしていたオレの所へ、検査官の国宮がやってきた。
「ええ、良かったら瑠璃沢センパイも試しませんか？」
胸ポケットからケースを出した国宮は、その中から付箋紙のような紙を取り出した。
「恋愛リトマス紙です。面白いでしょ？舐めるだけで結果がすぐ判るんですよ」
1枚手渡して、国宮はその効能を説明してくれた。
「恋愛すると脳から分泌される特殊な物質に反応して色が変わるんです。色はこんな感じで」
ケースから名刺大の説明書みたいなのを出して見せてくれる。
「赤だったらスキ、青だったらキライ？じゃあ紫だったらどっちでもないってことか」
ペロリと舐めて、試験紙の色が変わっていくのを眺めた。
「どうです？聖や香流君で試したら、結構当たってるって言ってましたけど」
国宮はどれ、と言ってオレの手にある試験紙を覗き込む。
「――赤…」
恋愛リトマス紙の判定に、自分の目を疑った。
「当たってます？今好きな人がいるなら、この結果は当たり、って事になるんですけどね」
その質問に、オレはすぐに答えられなかった。
好きな奴は…居る…かもしれない。しれないけどっ…。
むーっと考えながら紙を眺めるオレを見て、国宮はフッと笑う。
「これ、一琉クンにも舐めてもらいます？」
「…いーよ…あいつはこんな試験しなくても解ってっから…」
この結果、絶対に一琉には言わないようにしなくちゃ…。
言ったら…。
どうなっちゃうんだろう？
だけど、これで自分の気持ちはちゃんと解った気がする。
解ったから、後は…。
赤に染まった試験紙を眺めて、オレは昨日の夜よりもっと長いため息をついたのだった。
