―― やっぱり…ダメなのかも・・・
絶対に戻らないと決めたのに、やっぱりダメだ。
こうやって、毎晩愛されたベッドにいるだけで身体が熱くなってくる…
「…い…ちる……」
呼びなれた名前を呟くと、胸がキュッとなった。
■* Chap 29 ： Necessity(必要)
「いい加減に、帰ったら？」
紅茶のカップの湯気の向こう。桐羽はちょっと呆れ声でオレに言った。
「…んだよ…邪魔か？」
「そういうわけじゃないけどさぁ…この状態、不自然じゃない？」
新聞を読んでいる俺の方に向き直って、桐羽は説教っぽく話をはじめた。
「僕に何の確認もなく、荷物まとめて出てきちゃって…しかも一琉クンにも何も言ってないって言うし。大人げないでしょ、そういうの」
「いーだろ？こんな広い部屋に住んでんだから、オレ１人増えたって困んねーだろ」
「だーから、そういう問題じゃないでしょ」
だいたい涼は…と口を開きかけた桐羽を横目に、オレはコーヒーを飲み干して立ちあがる。
「もう時間。行かねーと」
「…ちょっと涼！話聞いてる？」
後ろ手でひらひらと手を振り、オレは桐羽の居る部屋を後にする。
一琉と揉めて、部屋を飛び出して半月経った。
オレはあの後、身体が動くようになったのを見計らって、自分の荷物をもって部屋を出た。
とにかく、一琉とは離れて冷静になりたかった。一琉と同じ部屋にいながら、有村のいう事を聞くなんて無理だ。
無理なら、強制的に距離を置くしかない。
かといって、他に部屋を借りたら、そこに有村が来るのは間違いない。そんなのはお断りだ。
それなら、とオレは手っ取り早く居候できる桐羽の部屋に間借りする事にした。
とは言っても、桐羽には何の確認もしてなくて、居候された方の桐羽はこんなオレに呆れっぱなしだ。
「今日は、ちゃんと打ち合わせ出てよ」
出かける準備をして、玄関へと急ぐ俺に桐羽が念を押してきた。
「ここ３回ずーっとサボりっぱなしでしょ。いい加減諦めて、顔出してよ」
「―― ヤダ。面倒くせぇ…」
「…それが理由じゃないでしょ…？ホントは―― 」
「あーもう！わかった解った！今日は出る！」
次にいう事は大体察しがついてる。ついてるけど、聞きたくない。
―― 一琉の顔を見たくないから、出たくない
そんな子供じみた理由で打ち合わせに出ないなんてバカげてるけど、しょうがない。
今のオレは、そんなしょうもない理由でもぐらついてしまう。
「あーあ…」
歩きながらふーっとタバコの煙を吐くと、オレは小さくため息をつく。
―― だから、独りが良かったのに…
誰かの事を必要としながら生きるなんて面倒くさい。
有村と離れる時に、散々思い知ったはずなのに…
「学習能力ねぇなぁ…オレ……」
一琉に会って、一生懸命押し込めてきた”寂しがり屋でダメな自分”がどんどん幅を利かせてきている気がする。
こんなんじゃ―― ・・・・
「涼センパイ」
後ろから、聖の声がした。声の方に振り返ると、聖と一緒に香流も並んで歩いてきていた。
「…よぉ」
「今日は早いですね。何かありました？」
「―― なんで…。今日ミーティングの日だろうが」
「…ああ、まぁ…そうですけど…出ます？」
聖はオレを上目遣いで見ながら、そう聞いてきた。きっと一琉との事を解っているから、聞きづらいのだろう。
そんな聖の質問に答えようかどうしようか迷っていたオレに、香流はさらりと核心をつく事を言ってくる。
「ミーティングくらい、出てやったらどうです？」
「…あ…？」
「あんまりいじめないでやってくださいよ。アイツ、弱ってますから」
そう言って困ったように笑うと、香流はスタスタ先に行ってしまう。
オレは黙り込んで、その背中を見つめるしかない。
んなこと、言われなくたって解ってる。
別にいじめてるわけじゃない。オレだって、ミーティングの短い時間でもいいから一琉の顔を見たい。
だけど、できない。
「…あの…センパ…イ？」
「…ああ…悪ぃ…心配すんな…」
スパイラルな思考に入り込みそうだったオレは、聖の声でハッと我に返る。
「行きますか……？」
「おう」
こんな状態、いつまで続けりゃいいんだろ…
隣の聖に気づかれないように、オレはまたため息をつくのだった。
+ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ +
「センパイ…電話ですけど…」
休憩室でタバコをふかしてるオレに、聖がものすごくフクザツな顔をして受話器を持ってくる。
―― またか……
このごろでは、聖のその表情で電話が有村からだと解ってしまう。
「もしもし…？」
電話に出たオレに、有村は当たり前のように予定も聞かずにいつものように言う。
『明日の３時、本店の３階会議室でいいか？』
いいか、って聞かれたって、何がいいんだか悪いんだか解らないし、第一その指示に従う義務はこれっぽっちもない。
ないのに。
「…つーか…オレ仕事あんだけど」
『オマエしか居ない訳じゃないだろ』
「そーいう問題じゃ…」
『出にくいなら俺から氷上課長に言ってもいいんだがな』
「…んな事されたくねー…・・３時に行きゃいいのか？」
もうこうなると、開き直るしかない。
自分の都合のために上司に連絡までしてオレを呼び出すなんて、どうかしてるんじゃないかと思う。
思うけど、オレはそんな男のいう事を聞かなきゃならない。
時間の確認をして電話を切ると、聖が隣で心配そうに声を掛けてくる。
「…この頃、よく有村さんから電話ありますね…」
「…ああ…まぁな・・」
「明日も…本店ですか？」
「――らしいな…とりあえず行ってくるわ」
「・・・そうですか・・・じゃあ明日は僕、書類をまとめてますね」
「…うーん…でもな」
先週もそれで、聖を１日事務所で作業させてた。本当は毎週毎週、そんな事ばっかりもさせてられないんだけど・・・
そんな風にどうしようか考えてたオレの後ろから、桐羽の声がした。
「何？また本店？」
「…あ…？」
「たまには断った方がいいんじゃないの？ま、そんなの涼の勝手だけど」
「…勝手って・・・」
ちょっとムッとするオレをちらりと見て、桐羽は聖にこう言った。
「聖、明日は僕と調査に行こう」
「えっ…でも…桐羽センパイは捜査してる時間なんて・・・」
「いいのいいの。涼が行けないなら、僕が行くしかないし。聖だって、しょっちゅう書類整理ばっかりしてられないでしょ」
―― イヤミか・・・・
どう考えても、それはオレに対するイヤミとしか思えない。
でもオレはそれに反論する事もできず、桐羽の言うとおりにするしかない。
「そういうわけだから、明日の資料準備しておいてくれる？」
「…はい…解りました・・・・」
桐羽にそう言われると、聖は大人しく事務所に資料を取りに行く。聖が出て行ったのを確認すると、桐羽はオレの隣に座った。
「―― いい加減にしてよ。何があったか知らないけど、こんなしょっちゅう本店に行かれたんじゃこっちも困るんだけど」
「しょーがねーだろ…あいつが来いっていうんだから…」
「言うんだからって、断ればいいじゃない」
「断ったら、慶吾に言って来させるようにするって言うんだから、行くしかねーだろ…」
「なんで？それおかしいでしょ。いつもの涼なら絶対に断ってるじゃない」
「…かもな」
「かもな…って・・・」
呆れたように桐羽はオレを見て、その後、テーブルに肘をついて俺を覗きこんできた。
「―― 有村に、何言われたの？」
まっすぐにこっちを見て、桐羽はオレが何か言うのを待ってる。
オレは、その理由を桐羽に言えるはずもなく、ただ黙りこくるしかない。
「…言いたくないなら、いいけど。あんまり仕事に差し支えるようなら、僕も考えなきゃいけないし」
「…悪ぃ…もうちょっと・・・・後なら、話せる…と思う」
「―― 」
うつむいたまま小声で言うオレに、桐羽は呆れたように言い返した。
「…それを待ってたら、手遅れなんじゃないの？僕が、涼の考えてる事解らなかった事今まであった？」
もう、返す言葉がなかった。
桐羽は、きっとオレと有村が会う理由を何となく察しているのだろう。
でもはっきりとは解らないから、何も言わないだけ。もしはっきりと理由がわかったら、絶対に黙っちゃいないはずだ。
「涼が自分で解決したいなら、僕は何も言わないけど」
それだけ言うと、桐羽は椅子から立ち上がる。
そのまま部屋から出て行く桐羽を見送って、オレは空になったタバコの箱をテーブルに投げ捨てた。
このまま頑張って有村のいう事を聞いていたら、一琉はちゃんと４課に戻れるだろう。
でもそれも、一琉が黙って戻ってくれたら、の話。
多分桐羽はそのへんも考えて、オレに有村に会うなとは言わないんだろうけど…
「…もー…っ・・・・」
なんで、こんなややこしい事になったのか。
今更有村がオレにあんな事言うなんて思わなかったし、オレだって― ・・
一琉のことを、こんなに大切に思うなんて、想像がつかなかった。
こうなるのがイヤで最初は避けてたのがウソみたいだ。
「…しょーがねーな…オレ…」
自分でも、この気持ちをどうにもできない。できないから、今はもう有村のいう事を聞くしかない。
それしか、オレが一琉のためにできることはないんだから…
そう思いながら、オレは明日の予定を予定表に書き込んだ。
+ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ +
次の日、有村に言われた会議室に行くと奴はもう先に行って待ってた。
「―― 何の用だよ…」
いつも通り、不機嫌声で話し出すオレを笑って見て、有村は手元の書類を揃える。
「別に…？たいした用じゃなかったんだけどね・・・」
その指が、自分の髪を撫でる。そのしぐさは、昔と何も変わらない。
こうしてるオレと奴は周りから見たら、きっと別れる前と何も変わらないだろう。
でも、オレから見たらもう、有村はとんでもなく遠い。
昔好きだったことさえもう思い出せないくらいに距離ができてしまって、抱かれていても感情は何も湧かない。
でも……
「そんなに、怖い顔するなよ」
有村はそんなオレの気持ちなんかお構いなしに、カラダを求めてくる。あの頃はこれが愛だって思ってたけど、今ではそれは違うってはっきり解る。
髪を撫でながら、オレの気分なんて関係ナシに有村は服を脱がし始めた。
―― 一琉だったら、こんな事しない・・・・
同じ抱かれるっていう行為なのに、なんでこんなに違うんだろ・・・・
一琉に抱かれてたときは、自分がものみたいに扱われてるなんて感じた事なかったのに、有村に抱かれてる時はなんだか自分が道具のように扱われてるみたいに思える。
同じように甘い言葉を囁かれても、胸に響かない。
「…あ…やだ・・・・っ…まだ―― …」
準備のできてない場所に、指が滑り込んで痛みが走る。
「ちょ…や…有村・・・・っ……痛…いっ」
痛がる俺にキスして、有村は笑いながら言う。
「時間ないから、我慢しろよ」
―― んなのできるか！
なんで、こんなに自分勝手なのか。しかも笑いながら言うってどういうことだ。痛いのを通り越して嫌悪感が走るけど、ドツき倒して逃げるわけにも行かず、いう事を聞くしかない。
そんな状態で抱かれ始めた時、隣の会議室に誰かが入ってきた。
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