「―― 妬ける？」
「…え…？」
「オレと有村がキスした事―― …」
そう聞きながら、またキスしてくる涼センパイ。
俺はそのキスに応えながら、質問の答えを返した。
「妬けるよ…んなの当たり前じゃん…」
■* Chap 15 ： Kiss(キス）
「一琉センパイ、8番でお客さんがご指名ですけど」
カウンターでグラスを並べながらぼんやり考え事をしていた俺の後ろから聖が声を掛けてくる。
「8番？」
言われたテーブルの方を振り返ると、そこには涼センパイの馴染みのお客が座っていた。
俺は持っていたグラスを置いて、呼ばれたテーブルへ行く。
「お待たせしました」
「こんばんわ。どしたの？元気ないわね」
涼センパイのお得意様のアヤさんは、こっちを見てニッコリ笑いかける。いつものボトルを自分で開けながら、彼女は俺に座るように勧めた。
「涼センパイ、今日は休みですけど」
俺がそういうと、アヤさんはそうなのよーと長い髪を後ろにまとめた。大手出版社のジャーナリスト兼作家の彼女は、お客というより涼センパイの情報屋に近い。
センパイは確保したターゲットの情報を教えていい範囲でアヤさんに教え、その代わりアヤさんからこの界隈のドラッグ売買についての情報を得ている。
だから彼女は涼センパイがいない時には顔を出さなかったけれど、今日はその事をすっかり忘れていたらしい。
「飲み会があるから今日は休みって聞いていたのに私ってば、席に座るまで忘れてたのよね。原稿の締め切りぎりぎりで、疲れてたのかしら」
俺がホストで向こうは客なのに、彼女は慣れた手つきでグラスに氷を入れて水割りを出してくれる。
「で、せっかくだから今日は一琉クンとお話しようと思って。いいでしょ？」
ニコニコ笑ってそう言われると、俺もイヤだとは言えない。出された水割りをちょこっとだけ飲むと、いいですよと笑い返してみた。
アヤさんはしばらく最近の仕事の話などをして、そのあと涼センパイの話を振ってきた。
「一琉クンは、涼のコトどう思う？」
「…はい？」
「君って、涼と一緒に住んでるんでしょ？同居してたら、いろいろ起こったりしないの？」
「ああ、まぁ…でも基本的には別の部屋だし、センパイあんまり他人に干渉するタイプじゃないですからね、特にコレっていう事は…」
「…ふーん…」
ニマリと笑うアヤさん。その笑いがものすごーく気になるんですけど…
「涼って、すっごく美人じゃない。女にも男にももてるし。そんな男と一緒に暮らしてて、グラっときたりはしないの？」
ズバッと確信をつくようなアヤさんの言葉に目を丸くする。もうすでにグラッと来てて、毎日やられっぱなしの俺はその質問に何て答えようか悩んでしまう。
「あー…確かに…センパイはめちゃ美形ですから…俺も多少は…」
思わず本音を漏らしてしまいそうなこの雰囲気。さすがやり手のジャーナリスト、とか訳のわからん事を考えながら俺はもう一口水割りを飲んだ。
「へーえ…そうなんだー。多少…ねぇ…」
アヤさんはまるで聞き込みでもしているかの表情で俺を見る。それから笑ってこう言った。
「ふふふ。いい話聞いちゃった。これからはそれも楽しみにしていようっと。涼は可愛いから、あんまりメロメロにされないように気をつけてね？」
―― もう手遅れなんですけど…
力いっぱいメロメロに惚れてて、もう後戻りも出来ない。そんな状態の俺に、アヤさんはとどめの一撃を放った。
「ああ見えても、けっこう甘えん坊なのよね、涼って。好きな人できたら、どんな風になるのか見てみたいわ」
―― だよなー…あの甘え方…犯罪に近いし…
まるで溶けかけのバニラアイスみたいに甘いセンパイの声や仕草を思い出しながら、またグラスに手を伸ばす。
アヤさんはそんな風に考え事をしてる俺を面白そうに見ていた。涼センパイを俺より良く解っている彼女のことだ。きっと俺のこんな様子で、２人の間に何かあるって事はきっと気がついたに違いない。
「いいわね…これ今度のネタに使おうかしら…」
くすくす笑ってグラスをあける彼女。俺はそんな彼女のグラスを受け取ると、あたらしい水割りを作ってあげた。
「いいですけど。ネタ代高いですよ？」
小さく笑って答える俺を彼女も同じように笑って見た。そこで涼センパイの話は終わって、また他愛ない世間話を始めた。
話をしながらも、心の中では同期会に行っているセンパイの事が気になって仕方がない。
今日は朝からそればっかり考えてて、はっきり言ってあまり仕事がはかどらなかった。
―― 今日、早く帰ろ…
アヤさんに涼センパイの話を聞いたら、無性に逢いたくなってきた。
俺は店が終わったら速攻帰ると心に決めた。
+ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ +
ピンポーン、と鳴るベルの音。俺はダッシュでインターホンを取る。
『たっだいまぁー。一琉ーっ鍵あけてー』
ものすごい上機嫌な涼センパイの声。これはもしかして…
玄関をあけると、センパイは俺を見上げてヘラリと笑った。思った通りとてもいい具合に"酔っ払い"になっていて、いつもの涼センパイの片鱗はドコにも見当たらない。
「ほい、コレお土産。」
ポイっと俺に渡したその土産は、この辺りでは一番有名なすし屋の折り詰めだった。
「こんな店行ったんですか？また豪勢な…」
「うん、桐羽が行こうっていうからさぁ。２人で帰り際に寄って来た」
さすが桐羽センパイ。行く店が違う。俺はその折り詰めをテーブルへ持っていって開けると、ありがたくいただく事にした。
特上でスーパーに美味いすしを食い終わり、幸せ一杯でビールを飲む。そんな俺のところへ、着替え終わった涼センパイがやってきた。
「ねー一琉。ビール。冷えてるの持ってきて」
俺の肩にちょこんとあごを乗せて涼センパイはニコーっと笑う。そんなセンパイをちらりと見て、俺はムッとした顔で言い返す。
「ダメです。そんなに酔っ払ってんのにまだ飲む気なんですかっ」
「なんでぇ。いーじゃん、飲ませろよ、なーっ」
「ダメって言ったらダメっ！お風呂入って寝なさい！」
「やーだ。まだ飲むんだもーん。いい。持ってきてくれないなら自分でとって来るもんね〜なーアヒルっ」
ケラケラと笑いながらアヒルのぬいぐるみを抱きかかえるセンパイ。もう完全に手に負えない”酔っ払い”だ。仕方なく自分のビールを置いて、冷蔵庫へセンパイの分を取りに行く俺。
「はい。でも１本だけですから。コレ飲んだらおとなしく寝てくださいよっ」
「はーい。わかってまーす」
絶っ対に解ってない。
俺は眉間にシワを寄せて、上機嫌なセンパイを眺める。プシュッと開けたビールをクピクピと美味しそうに飲むと、うひゃひゃと笑いながら俺の肩をバンバン叩き始めた。
―― あーあ…今度は何だ…？
「今日さー何でか知んないけど、行ったら隣が有村でさ。しょーがないからガマンして座ったんだけど」
唐突に今日の同期会の話を始めるセンパイ。左腕にアヒルを抱え、右手にはビール。そのスタイルでソファに座っている俺の隣にピッタリとくっついてくる。
「んでもって、有村の野郎、自分の隣に嫁を座らせやがって。っとにムカつくよな。ちょっとは気ぃ使えっての。オレはこう見えても結構繊細なのにさ」
むぅ、と顔をしかめて、なぁ？と俺に同意を求めてくる。俺は呆れて笑いながら、はいはいと話を聞いておく。
「でさぁ、あいつってば、なんか妙に機嫌よくてさ。会えて嬉しいとか、訳のわからない事言いやがって。解んねぇ奴だよなー自分でオレの事捨てたくせに」
―― それって…
涼センパイが吐き出すように話している有村先輩の様子を聞くうちに、俺はなんとなくまだ有村先輩が涼センパイに未練があるんじゃないかと思えてきた。そうでなかったら、わざわざ別れる原因になった嫁を連れてきたり、隣に座るなんて事はしないだろう。でも、涼センパイにしてみたらただの嫌味としか取れなかったのかもしれない。
ちょっとそんな事を気にしつつ、俺はセンパイの話の続きを聞いた。
「なんかさ、オレがいなくなってからああだった、とかこうだった、とか話してさ、２人で居た時は楽しかったよな、なんて言いやがって」
グビっとビールを一気に飲んで、涼センパイはキッと俺を見上げる。それから半分呂律の回らなくなった絡み口調でこう言った。
「有村の奴、オレに”本局へ戻って来いよ”とか言うんだぜ？追い出したのはオメーだろ！って言い返したかったけど、黙っといた。オレ偉い？」
えへへーと笑うセンパイの頭を撫でてあげながら、俺はどんどん不安になっていく。
酔っ払ってるから正常な思考じゃない涼センパイには解らないのかもしれないが、どう考えてもその話の流れは”ヨリを戻そう”って言ってるようにしか聞こえない。
―― 有村先輩は…まだ涼センパイの事が―…
ひとりで深刻な顔をしている俺をよそに、涼センパイは開けたビールの缶をポイッとほかり次を調達しに行こうとする。
「あ！ダメっ！１本だけって約束だったでしょ？！」
フラリと立ち上がったセンパイの腕を掴むと、その身体をソファの上に引き戻した。
「飲みすぎ。あんま飲むと明日つらいよ？」
「いーじゃんかよ。飲ませろよ」
「ダメ。もうおしまい。で、言いたい事はもう言った？」
「んなわけねーじゃんよ。だって有村さ、帰り際にさ…」
ボソッと涼センパイが言ったその続きの言葉に、俺は返す言葉が無かった。
「…キス……されたの…？」
「……うん…」
なんでも、昔は良くこんなコトしたよな、と、別れ際にキスをされたらしい。涼センパイはちょっと切なそうな目をして、小声で言った。
「……でもホントに…昔はそうだったから…」
仕事の帰りとか、ちょっとした買い物の時とか、有村先輩はよく人前で涼センパイにキスをしたらしい。
「オレ…何かわかんなくなっちゃった…有村って、何考えてんのかなぁって」
俺のシャツの裾をゆるゆると触りながら、涼センパイは目を伏せる。長い睫毛がしっとりと潤んでいるのが解って、胸が締め付けられる思いがした。
―― センパイも…やっぱりまだ有村先輩の事を……？
キスなんかされたら、そりゃ思い出すだろう。しかも酒が入っていればなおさら切ない気分になること請合いだ。
目の前で切なそうに考え事をしている涼センパイを見ているのがイヤで、俺は話題を変えようと試みる。
「ビール持ってきてあげる。飲みたいんでしょ？」
うんと答えるかと思ったら、全然違う反応が返ってきた。
「…ううん…いらない……」
ふるふると首を振って、泣きそうな顔をして見上げてくるセンパイ。黙ったままじっと座っている俺の頬に指を伸ばして小さく笑った。
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