「俺のこと、気になります？」
「―― さぁねぇ…。どーかなぁ？」
アヒルのぬいぐるみを抱いたまま、センパイはふふっと笑った。
■ Chap2 ： Interest(関心)
あれから半月が過ぎて、俺はなんとかこの『特殊取締部』にも慣れてきた。
"店"の仕事は思ったよりラクで、お客で来るお姉さんたちの悩みを聞いてあげるだけだから何て事はない。職場のウザったい上司の説教だの自慢話だのを聞いているよりはよっぽどいい。
実務はまぁこんなもんかという感じで、今のところキツイ案件はまだないからこれからのお楽しみ。
心配だった引越しも今週末には出来る事になったので、暇を見ては荷物の整理をしていた。
「おう！一琉がんばってる？」
店が終わって事務所で缶コーヒーを飲んでいたら、後ろからそんな声が聞こえた。顔だけ振り返ると、ジャケットをぶら下げた涼センパイが部屋へ入ってくる所だった。
センパイは部屋の奥の冷蔵庫からビールを取り出すと、それを嬉しそうにプシュッと開ける。
「かはーっ。うめー。やっぱ労働の後はビールだよなぁ」
グビグビと缶ビールを飲み干すその姿を俺は目を丸くして眺めた。毎日見てる光景なのに、何回見ても呆気にとられてしまう。
「あんなに店で飲んでるじゃないですか。しかも高いのばっかり。その後でビールなんて良く飲めますね」
はーと感心する俺に、センパイは言う。
「バッカ。客が入れてくれた酒と、このビールは別モンだって。それに店じゃ営業しながら飲んでるから、味なんかあんま解ってねぇし」
ペロッと舌で口の端を舐めながら、センパイは俺の前にあるチョコをつまむ。
「あ、そだ。今度の金曜ヒマ？」
「は…？」
「金曜だよ金曜。お前が引っ越してくんなら、ウチ片付けなきゃなんねーだろっ。手伝え。休みもらってんだろ？」
腰に手をやり、来るよな？とニラみをきかせてくるセンパイを俺は上目遣いに見た。
「解りました…」
俺がはーっとため息をつくとセンパイはニヤリと笑う。
「ふっふっふ。バッチリコキつかってやっからよ、楽しみにしときな？」
「…はい…」
居候状態で部屋に引っ越させてもらうだけに、ここはおとなしくいう事を聞くしかない。拒否なんかしようもんなら、１００パーセント放り出されるに決まってる。
ここ半月で、俺はかなり涼センパイという人を解ってきた気がしていた。
…まぁ、勝手にそう思ってるだけかも知んないけど。
「何？楽しい相談？俺もまぜてよ」
首を羽交い絞めにされて、俺は眉間にシワをよせた。
「引越しの話してんだよ。頼んだのにデートだから来れないつったのお前だろ」
うっとおしい両腕を解くと、振り返って腕の持ち主を見た。
「怒んないでよ一琉ちゃん。ホントは俺も手伝いたいんだからさ」
大学の同級生で同期の清人は、俺のほっぺたをピチピチと叩くと子供をあやすように笑う。そんな清人を見て、涼センパイは呆れた顔でこう言った。
「んだよ。香流、お前またデート？つーか毎週じゃん。そのうち刺されんじゃねぇ？」
「何言ってるんですか。刺されんのは涼センパイでしょ。今年の誕生日プレゼントは総額いくらぐらいもらったんです？」
「知らねー。全部湊に渡した」
「ええーっ？！マジですか？！」
清人は俺の頭をくしゃくしゃとやりながら、素っ頓狂な声を出す。
「あの３００万のオメガのウォッチとか？全部？」
「…３００万？だかどーか知らねーけど。俺腕時計しねぇし、あんなでかいの邪魔じゃん」
「じゃ、邪魔って。あれレア物ですよ？しかも一般客じゃ買えないってウワサの」
「そーなのか？よー解らん。でもお礼はしといたぜ？ちゃんと」
「ちゃんとって、どんな」
「食事に１回付き合った。それでいいって言うから」
唖然とした顔で自分を見る清人を平然とした顔で見返す涼センパイ。
―― それでいいのか？
何でもない事のように言うセンパイを、俺たちは珍種でも眺めるように凝視していた。いや、ある意味珍種よりもめずらしいかも。３００万の腕時計もらって、一回食事に付き合ってそれでチャラってどういうことだ。
「まさか食事だけじゃないでしょ？その後マンションにお泊りとかじゃないんですか？」
清人はそう言いながら目を細めて、涼センパイを見た。確かに普通はそれが当たり前だと思う。
まぁお客相手だからお泊りは実はＮＧな選択肢だけど、３００万の見返りならそれくらいしてもバチは当たらない。
なのに。
「なんで俺がそこまでしなきゃなんねーんだよ。しかもくれっつってもらったもんでもなし」
センパイはタバコを取り出して火をつけて、ふーっと煙を吐く。そういう所を見ていると、二重人格なのではないかと思えてくるから怖い。
店にいる時のセンパイはまるで天使のような笑顔をお客に振りまき、どこの席に行っても大人気だ。しかもこの綺麗な顔で『まってるから』なんて言われたら、２回目来ない客はいないだろう。
「…鬼ですね。センパイは」
ボソリと呟いた俺の声が聞こえたらしく、センパイはフッと目を細めた。
―― ヤべぇ…。聞こえたっ？！
「はーん…」
イジワルそうに笑うセンパイの目を俺は見ないように視線を逸らす。
「金曜。楽しみだな」
「…そうですね…」
あー…。やっちまった。
そんなつもりはないのに、涼センパイの事となると俺はいつもついヒトコト多くなってしまう。
自分を反省しつつ、怒られた後の子犬のようにちらりとセンパイを見る。センパイは俺を見てふふっと面白そうに笑った。
―― … ダメだ。
センパイの何気ないそういう表情が可愛くて、またドキドキしてしまう。こんなんじゃ、一緒に暮らしたらどうなることやら…。
うーんと考え込む俺を、隣にいた清人は変な顔をして眺めていた。
「…一琉？どうかしたのか？」
「ああ？うん。いや。何でも」
―― 危ない危ない…。こんなトコでトリップしてる場合じゃなかった。
まだ残ってる荷物片づけを終わらせるため、俺は早めに上がる事にする。
「帰ろ。まだ荷物片付け残ってるし」
「そうなんだ？そりゃ辛いね。ま、頑張って」
「ん。サンキュ。じゃな」
「おう。お疲れー」
涼センパイと清人に見送られ、俺は裏口から外へ出た。
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「おし。んじゃはじめっか」
涼センパイはにんまりと笑って俺にガムテを渡す。
「こっち」
俺はそう言って手招きするセンパイの後を不安いっぱいな顔でついていく。
「うわ！」
南向きの６帖の洋室に恐ろしい勢いで積まれた本。その本の山の向こうには、かなり大きいサイズのプラズマTVが飾りのように置いてある。
「誰か来るなんて思ってなかったから、一度も片付けたことねーんだ。この部屋」
ニッと笑った先輩は、俺の肩をポンポンと叩く。
「がんばれよ？」
「がんばれよって。まさかこれ一人で片付ける…とか？」
「その通り。俺はリビングを片付ける。だからお前の分担はココ。文句あっか」
フン、と胸を張るセンパイを、俺は悲しそうな顔で眺める。
―― …こんなに溜まるまで何で放っとくかな…。
にしてもすごい本の量。見かけによらず読書家らしい。
「ここお前の部屋だから、片付いたら好きに使っていーよ」
「ここ…ですか？でもTVとかシアターあるし、いいんですか？」
まさか使ってないわけねーよな…。でもなぁ。
「ああ、それお客に買ってもらったんだけどさぁ。一度も見てない。っていうか、俺あんまTV見ねぇの。お前にやるよ」
「はぁ？！だ、だってコレ、高いですよ？こんなの…もらえませんよ」
肩をすくめてそういう俺を、涼センパイはふーんという顔でみた。
「じゃあ、この部屋片付けたバイト代って事で受け取れ。ならいいだろ」
「じゃなくって。お客さんにもらったものをそんな簡単にポンポン人にあげていいんですか？」
真剣に言う俺の言葉を聞いて、センパイは目を細める。それからふーっとため息をつくとタバコを取り出した。
「いーんだよ。奴らはさ、俺が楽しむだろうと思ってそれくれてる訳じゃないんだよ。俺にこういう風に何かを与えてる自分に満足してんだから」
ふーっと吐き出される紫の煙を俺は黙って眺めている。
「俺の気持ちがどうとかの問題じゃなくて、何かしてやってる自分に酔いたいだけなんだよ。ああいう店に来るVIPの客なんて、みんなそんなモンだぜ」
そう言っている涼センパイの顔がなぜかとても寂しそうに見えて、俺は次の言葉が上手く探せない。どう言おうかと言葉を捜しながら、何気なく手元にある本をとった。
「わー…これ懐かしいなぁ。教本じゃないですか」
手にした本は、警察学校時代の教本だった。捜査の心得、とか、なんかいろいろ、今じゃ考えられないような正論が並べられている。
「ああ、それ聖が貸してくれって言ってきてさ。もってってやろうと思って、忘れてた」
「聖が？また何で？」
「来月１年目研修があるんだと。そんとき持って来いって言われたらしいぜ」
「へーえ」
ぱらぱらと本をめくって見ていたら、ふいにセンパイが俺にこう聞いた。
「お前さ、なんで麻薬捜査官になろうと思ったの？」
「…へ…」
いきなり聞かれて、答えに詰まる。何でって言われても…、何でなんだ？
「いや…本当は公安を希望してた訳じゃなかったんですけど、警察本部の応募捜してたら、本局の採用案内が偶然目に入って…。そのまんま…」
「ふーん。本当は本部の捜査１課とか、凶行班に行きたかったってか」
フッと笑ってセンパイは俺がもっていた教本を手に取った。本のページをめくるその指を眺めながら、返事を返す。
「ウチ、親父もじいさんも刑事なんで。ホントはそっちの方が良かったような気もしますけど…。でも、今はそんな事ないですよ」
「今は？」
視線を上げてじっと見つめてくる涼センパイの綺麗な顔を、俺も同じように見返す。
「ええ。だって、今は …」
―― センパイに逢えたから。 だから嫌じゃない。
そんな突拍子もない台詞を吐いてしまいそうな自分を抑えて、ニコッと笑ってみせる。
「今は、この仕事やっててよかったと思ってますよ。結構奥深い世界だし、スリルもあるじゃないですか」
「スリル…ねぇ。ま、俺もそれは認める。ある意味凶行班よりキケンだよな。俺たちの仕事って」
本をパタンと閉じて、センパイはそれを俺に返す。そしてよいしょ、とその場に座り込んだ。
「よし。片付けるか」
「え…？」
「本。片付けんだろ。そうしなきゃお前の荷物入れらんないだろーが」
ふーっと息を吐き、よしっ！と気合を入れた涼センパイは、本を１冊1冊きれいに重ねていく。
「俺一人でやってると、ついつい片付けながら読み始めちゃって片付かなくってさー。こーやってお前がしまってってくれればすぐ片付くじゃん？」
だから呼んだんだよ、とセンパイは笑った。
―― やっぱ笑うと可愛いなぁ。
もともと好みの顔だけど、笑った顔は本当に可愛い。しかも無防備に笑ってるから、余計に可愛く見えてしまう。
本を積んではしまって、ダンボール箱を積み上げていく作業を繰り返す。昼過ぎに始めて、何だかんだ話しながらやってたら夕飯の時間まで掛かってしまった。
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