おかしいのは俺か？
それとも可愛すぎるこいつか。
どっちにしても、この先俺が”怪しげな欲求不満”に悩まされる事は間違いなさそうだ。
「紘介さん？」
俺の頭の中の不埒な考えなど知りもせず、雅は隣にちょこんと座った。
■ Chap 02 ： その人は探偵さん
４時。
もうそろそろやってくる時間だ。
俺は目を通していた書類をまとめると、机から離れて窓の外をちらりと眺めた。
視線を先に延ばすと、大通りから入ってくる角からやっと見慣れた小さな高校生の姿が見えた。
―― 来た…
元カノ…もとい、知り合いのアヤに頼まれて押し付けられた高校生 雅。コンビニですらバイトのできない『お坊ちゃん』を預かる事になったはいいが、これが結構大変だった。
本当に外のコトを知らないらしく、見るもの聞くもの「それは何ですか？」「それはどうしてですか？」と質問の連続。あのアヤの弟とは思えない。
いっその事、逆だったら親はどんなに幸せだったことか。他人の俺ですらそう思ってしまうほど、雅はまるで”箱入り娘”状態だ。
しかもトロい。ギネスに申請できるんじゃないかと思うほどトロい。
お茶を淹れても運ぶ途中に転びそうになるわ、書類を整理させれば床にぶちまける。バイトを雇ってるのに、ここのところ俺の仕事は絶対に前より増えている事は間違いない。
―― でもなー……
怒れないのだ。どんなにとんでもないドジをやらかしても、俺は雅を叱れない。
まぁ知り合いの弟だからってのもあるが、そうじゃない。
―― 絶対ヤバイよな…この状況…
アヤと付き合ってたのが長かったせいもあるし、仕事柄”ナチュラル”に慣れていないせいもある。それに俺自身が今までそういうタイプの女に会った事がないからかもしれないけど。
雅に『ごめんなさい』と目に涙を浮かべて謝られると、どうしていいか解らなくなる。
男相手、しかも高校生のガキンチョ相手なのに、俺はバカみたいにドキドキしてしまう。
「…アホだよなー…俺…」
ドキドキするのがそもそもおかしいし、いい大人なんだから軽く流せば済む話なのに。何やってんだか。
しばらくグルグルとループを繰り返していたら、カチャリと事務所のドアが開いた。
「おはようございます」
ドアの所で真っ直ぐ立って、雅はペコリと頭を下げる。そんな所も可愛く思えてしまうから、ホントに病気なんじゃないかと思う。
「おう…今日は早いな」
「はい。今日からテストなので」
コートをハンガーにかけると、雅はお茶を入れに給湯室へ歩く。
「本当はもっと早く来れたんですけど、明日の準備していたら遅くなってしまいました」
へろんと笑って、雅はお茶を入れる準備に取り掛かる。猫の方が絶対に早いだろうというのんびりした動作で、でも上品にお茶を淹れるとそーっと俺の机まで運んできた。
「よいしょ…っと」
貴重品でも扱うかの様に湯飲みを机の上に置くと、ほーっと息をつく。
「今日はうまく運べました」
ニコッと笑う雅。ドキッとする俺。
「お仕事ですか？」
机の上の書類を見つけて、雅は俺にそう聞いてきた。
「ああ、まぁな。たまには働かねぇとなぁ。お前のバイト代もいるし」
「す…すみません…あの、僕はお仕事が沢山ある時だけお給料いただいてもいいので…」
「バカ。それじゃバイトになんねーだろ」
予想通りトンチキな事を言い出した雅に俺が言い返すと、奴は何故だか赤くなって俯いた。
「えと…でも…いいんです」
―― いいって…何でだ？？
何がいいのか。バイトなんだから、金がもらえなくちゃ意味ないのに。
俺は首を傾げながら雅に聞いてみる。
「いいんですって、良かぁねぇだろ。ボランティアじゃねーんだし」
「はい…でも、アヤさんには社会勉強って言われてるし…紘介さんにはいろいろ教えていたいただいてますから」
「…社会勉強…ねぇ…」
どうせ勉強するなら、もっとマシな勉強がいくらでもあるんじゃないかと思うがそれをここで雅に言ったって、きっと解らないだろう。
雅は俺の机の書類を覗き込み、それからにこーっと笑ってこう言った。
「僕にもお手伝いできますか？これ」
「手伝う…って？お前が？」
「はい！」
思いっきり悪意のない、天使のような笑顔で見上げられて俺は何もいえなくなってしまう。
「まぁ、いいけど…」
アルバイトなんだから、仕事を手伝うのは当たり前だし間違ってない。
「でも、コンビニのバイトみたいに簡単じゃねーぞ？」
「はい。解ってます。僕頑張ります」
「…そうか」
頑張ります、と目をキラキラさせていわれちゃあ俺ももうダメだとは言えない。
しばらく言葉が出なくて、俺はしばらく雅を眺めていた。
おかしいのは俺か？
それとも可愛すぎるこいつか。
どっちにしても、この先俺が”怪しげな欲求不満”に悩まされる事は間違いなさそうだ。
「紘介さん？」
俺の頭の中の不埒な考えなど知りもせず、雅は隣にちょこんと座った。
「これが次のお仕事の資料ですね。みても良いですか？」
「…ああ、いいぞ」
隣で真剣な顔をして資料を眺める雅の長い睫毛やサラサラの髪をじっと見ていると、どうも変な気持ちになってくる。
―― つーか…やばいっつーに…
いくら相手が男なのに女の子みたいに可愛い、としても元カノの弟をいただいたなんて聞いた事がない。
それにそんな事したら、アヤに何を言われるか解らない。
―― あいつの事だから、金払えとか言いかねないよなぁ…ったく…
アヤの弟にしては『大人しい』し、『出来が良すぎる』し、さらに『礼儀正しい』。
毎晩毎晩、繁華街を仕事と称して飲み歩く女の弟とは思えない。
「ふーん…探偵さんのお仕事って、結構大変なんですね・・・」
雅はふむふむと頷きながら、パラリとめくった資料を何気なく机の上に置いた。そしたら…
「―― あ…！」
置いた紙が開いていた窓から入ってきた風に吹かれて飛んでいった。それを取ろうとした雅はバランスを崩して椅子から転げ落ちそうになった。
「―― 危ね…っ」
ガターンと椅子が倒れる音。背中が床に当たって、結構痛い。
「す…すすすすすみませ…ん・・・・」
目の前に見えるのは透き通った茶色の瞳。雅は真っ赤になって、俺の肩を掴んだ。
「僕っ…ホントにトロいので……っっ…あの……」
「気にすんな。転がられて頭でも打たれたらこっちが困る」
「そ…そうなんですけど…あの…紘介さんは…」
俺の膝の上に座ったまま、雅はしどろもどろに喋り続ける。それがまた妙に可愛いから、怒るどころかおもわず顔が緩む。
「俺は平気だ。前の仕事じゃこんなのしょっちゅうだったし・・・」
ふーっと息をついて起き上がる俺を眺めて、雅は小首をかしげた。
「…前のお仕事は、何をされてたんですか？」
「ああ、前の仕事か、そういや話してなかったな」
雅を立たせて椅子に座らせると、俺も座りなおしてお茶を飲む。
「警察。刑事やってたんだ」
「刑事さん？」
「そう、刑事。捜査一課とか聞くだろ？ああいうの」
「へぇぇー」
俺のその仕事が以外だったのか、雅は目を丸くした。
「そんなに驚く事か？ま、今とそんなにかわらねぇけどな…やってる事は」
そうなんですかーと雅は俺をマジマジと眺める。あんまり真剣に眺めるもんだから、何て言っていいか解らない。
何を話そうか困っていたら、事務所のドアが開いた。
「先輩〜？います〜？」
呑気な声が事務所に響く。
「ケーキ買ってきたんですよ〜食べません？…ってあれ？？」
並んでみつめあっている俺と雅を見比べて、声の主はえーっと…と頭をポリポリ掻いた。
「…響…っ…来るなら電話してから来いっつってんだろーお前はよ…」
俺にジロリと睨まれて、ケーキを持ったその男はハイ…と小さくなる。
「とりあえず、食べません？ね？はい」
後輩の巣南は誤魔化し笑いをしながら、ケーキの箱を開いた。
「えー…っと……キミは？」
巣南はちょこんと座っている雅にケーキを渡しながらそう聞いた。聞かれた雅は小さな声で自分の名前を言う。
「あ…あの、ここでアルバイトをさせていただいてます、月島雅と申します……」
「…月島…雅君ですか……月島…って…事はもしかしてアヤさんの？」
「はい…アヤは姉ですが…」
「ああ！そっかやっぱりー！何か似てるなぁって思ってたけど〜。へぇ…そうなの。お姉さんに似て、美人だね」
「―― へ…っ…」
美人、と褒められ、雅はまた真っ赤になった。赤くなる雅を見て、巣南はニヤリと笑った。
「良かったですねぇ…先輩」
「ああん？何がだっ」
巣南の言いたい事は大体解る。きっと、アヤさん似の美人だからどうのこうの、と言いたいのだろう。
「あーもう。お前ケーキだけ準備して気が聞かねぇな！お茶はっ！」
「あーはいはい。今入れてきますねぇ〜」
笑いながらお茶を淹れに行く巣南の背中を見ながら、俺はため息をつく。
でもまだこの時は、雅が巣南にとんでもない入れ知恵されるなんて、俺には予想がつかなくて。
目の前でケーキを眺めて考え込んでいる雅を見つめて、俺は今後のコトを考え込んでしまうのだった。
その人は探偵さん
END
