「月島…雅です…」
ぺこりとお辞儀をした僕を眺めて、その人はふーん…という顔をした。
それから、僕の頭をクシャっと撫でた。
そして。
「なかなかの美人じゃん。さすがアヤの弟だな」
それを聴いた瞬間、僕は耳がかぁっと熱くなったような気がした。
■ Chap 01 ： 冒険のススメ
庭の梅の花に、ポカポカとさす日差し。
テスト明けの日曜日、僕は縁側でのんびりお茶を飲んでいた。
そこへカタンという物音。誰か来たみたいだ。
「雅？雅居るの？」
その声は数ヶ月ぶりに聞く姉、アヤさんの声だった。僕は湯飲みを置いて立ち上がると、声のするほうへ歩く。
「居るよ。こっち」
「ああ、また日向ぼっこ？のん気ねぇアンタは」
はぁっと一息ついて、肩から提げた書類満載のバッグを下ろすと彼女はお茶を淹れてと僕に頼む。
「つっかれたぁー今日徹夜明けなのよー。で、近くまで来たもんだからココでちょっと休憩しようと思って」
「そうなの。相変わらず忙しいね。今は何してるの？」
「今？ああ、今は『女子高生と携帯電話が作る風俗ネットワーク』の連載記事やってんの。読む？」
「いえ…遠慮しときます…」
僕より１2歳上の姉、アヤさんは有名国立大学を出たにもかかわらず、在学中に興味を持ったマスコミの世界にとりつかれて現在フリーのライターをしている。ライターの仕事のほかに、作家なんかもやってるらしく出した本は毎回結構売れているようだ。
「お父さんには会った？」
「会うわけないでしょ。精神衛生上悪い相手になんでわざわざ会う必要があるのよ」
その話はＮＧよ、とアヤさんはお茶をすすった。
父は際どい世界に入り込んだ仕事をしているアヤさんのコトが気に入らないらしく『絶対家には帰ってくるな』と半分勘当状態。でも逆に母は今時の自立した生き方をしている姉の事はひそかに自慢している。
「あんたは？最近どうしてんの？」
「ああ…僕？うん、まぁぼちぼち…」
僕は今高校２年生。っていうか今度３年生。
進路とか、考えなくちゃならないけど自分の意見は多分通らないだろうから父のいう事を聞いてしかるべき大学に入る事になるのだろう。
「どうせあんたのコトだからまたお父さんのいう事聞きっぱなしなんでしょ？」
ぼんやり考えていた僕の頭の中が見えたのか、アヤさんは諦め調子で僕にそう言う。
「…う…」
答えが返せずつまる僕に、アヤさんはさらに攻撃を加えた。
「コレだから坊ちゃんは…世間を知らないまま甘ちゃんでオトナになって行くのよねぇ…つまらないわ」
坊ちゃん。
そう。僕の家は代々続く財閥の名家だ。両親はいくつかの会社を経営していて、さらにあちこちの団体の理事などもしている。他にも株の運用や土地の運用で、詳しくは解らないけど俗に言う"セレブ"な生活が出来る家なのだ。
「こんな家の子供だなんて、恥ずかしくて絶対に言えないわ。世間の人からイヤーな目で見られるのよね」
アヤさんは自分がこの家…月島家の人間である事を本当に嫌がっている。お金の問題ではなく、どうやら自分のプライドの問題なのだそうだ。その辺の難しい哲学は解らないけれど、とにかくこの家の娘という肩書きは捨てたいらしい。
「ねぇ雅、あんたバイトぐらいしたらどう？」
「アルバイト？」
目の前でうんうんと頷いて僕を見るアヤさん。
「そうよ。いまどきバイトもした事ないなんて、どこぞの箱入り娘でもあるまいし。どうせ大学だって推薦で入れるんでしょ？だったら勉強しなくったっていいし。時間あるじゃない」
「ふむ…」
そう言われると、僕の周りにもバイトしている友達は多い。みんなそこそこいい家の息子だけれど、親にもらったお金とはまた違った感覚で使えていいらしい。僕は別段何か欲しいものもなかったし、しょっちゅう外に出歩く性格でもないからバイトなんて考えたことなかったけれど…
「バイトかぁ…それもいいかもねぇ…」
両親に話したらきっと大反対されるだろうけど、僕だって子供じゃない。それくらいはしたってバチは当たらないだろう。
「よし。じゃあやってみよ。もうすぐ春休みだし、探してみよーっと」
「お。やる気じゃない。行くトコ決まったら知らせなさいよ。見に行ってあげるから」
「うん」
自分のアドバイスを聞き入れた僕を、アヤさんは満足げに見る。僕はそんなアヤさんを見返して、ニコッと笑って見せたのだった。
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「ごめんなさいね。今週いっぱいで終わりにしてくれる？次の子がきまったの」
2週間働いたバイト先の店長さんはちょっと申し訳なさそうに僕にそう言った。
「雅君はいい子なんだけど…お仕事するにはちょっとねぇ…」
これで4回目。僕はよほどトロイらしい。
たしかに、家では何もしてないし、もともとのんびり屋な性格だから自分じゃチャキチャキ動いてるつもりでも他人から見たらスローモーションなのかも知れない。
がっくりうなだれて歩きながら、僕はお店の外に出た。
とぼとぼ歩いて帰る家までの道の途中。後ろから聞きなれた声が聞こえた。
「雅」
振り返ると、そこには僕にバイトを勧めた張本人のアヤさんが立っていた。
「どう？バイトは」
「……うん…」
どう見たって落ち込んでいる僕の様子から、まともにバイトはできていないと悟ったアヤさんはふーっとため息をつく。
「やっぱりねぇ…勧めといてなんだけど、あんたにできるバイトがあるのかしらってあたしも思ったもの」
―― がーん…ヒドい…解っているならすすめなきゃいいのにぃ…
涙目で見上げる僕を、アヤさんはまいったなぁという顔で見る。
しばらく黙ったまま並んで歩いた後、アヤさんはそうだ、と何か思いついたように立ち止まった。
「いい事思いついた。ちょっと来なさい」
自信たっぷりな笑いを見せて、アヤさんは僕について来いと言う。僕は何がなんだか解らないまま、アヤさんについていくしかない。
家から少し離れたオフィス街。ビルが立ち並ぶ通りをアヤさんは慣れた足取りでどんどん進む。
しばらく歩いて、ちょっと裏道へ入ると、その先に目的の場所があった。
「ここよ」
すこしレトロ…というかくたびれたそのビルの階段を上がる。3階の奥、古びたドアをノックもせずに開けるアヤさん。
「紘介？居るー？」
まるで自分のオフィスみたいに、アヤさんは部屋に入って歩き回る。
「相変わらず散らかってるわね…少しは整理整頓しなさいよまったく…」
事務所みたいな部屋の奥にあるドアを開け、アヤさんはその中を覗いた。
「紘介！寝てんの？！」
それからしばらくして、そのドアから背の高い人影が現れる。頭をぼりぼりかきながら、彼はアヤさんを迷惑そうに見た。
「アヤ…お前なぁ……来るなら電話するとかなんかして来いよ…」
「どうせ暇なんでしょ？電話代の無駄じゃない。ああ、今日はね、ちょっと頼みごとがあってきたのよ」
「はぁ？頼みごと？…どうせお前の事だから、またロクでもないことなんじゃねぇの？」
「何その言い方。まるで私がいっつもおかしな頼みごとしてるみたいじゃない」
「みたい、じゃなくってそうだろーが」
真っ黒な髪。切れ長の目。通った鼻筋にモデルみたいな高い身長。低くて響くのに、ちょっと甘めな声。
―― こういうのを大人の男っていうのかなぁ
僕はそんな事を思いながら、その人を眺めた。
彼はぼーっと自分を見ている僕に気がついて、こっちを見た。
「―― お？誰だこいつ」
「私の弟よ。雅、自己紹介」
ホラ、と催促されて、僕は小さな声で名前を言った。
「月島…雅です…」
ぺこりとお辞儀をした僕を眺めて、その人はふーん…という顔をする。
それから、僕の頭をクシャっと撫でた。
そして。
「なかなかの美人じゃん。さすがアヤの弟だな」
それを聴いた瞬間、僕は耳がかぁっと熱くなったような気がした。
初対面の、しかも男の人に美人なんていわれて、どうしてドキドキしてるのか解らない。なのに、彼を見上げてその顔を見ているとドキドキがどんどん早くなる。
「ちょっとー。人の弟に気安く触らないでよ」
「あ？ああ、悪ぃ、あんまり可愛かったもんだから、つい」
―― 可愛…い？
ドキドキがバクバクになって、僕は立っているのがやっとだった。ぜったい耳もほっぺたも赤くなっている。何でそうなってるかは解らないけど。
「まったく…そういうトコは変わってないわね。ま、いいけど。そうそう、頼みっていうのはね」
アヤさんがその用件を告げると、彼は眉間にシワを寄せた。
「…アルバイトだぁ？」
「そう。このコが明るい高校生活を送るためにアンタのトコで雇って欲しいって訳。どう？いいでしょ？」
「いいでしょっつーか…バイトを雇うほどうちは儲かってねぇ」
「いいのよ。雅はお金が欲しくってバイトしたい訳じゃないんだから。ねぇ雅」
「あ？…えっ…うん…」
ココロが別の所へ行ってしまっていた僕は、そのアヤさんの声ではっとして顔を上げた。
「…なに？顔赤いわよ…暑いの？」
「う…ううん！別に。」
ふーん…という顔をして、アヤさんはしばらく僕を見ていた。それからこう言った。
「これは紘介。秋守紘介よ。あたしの元カレ。職業は探偵。っていってもほとんど仕事はないけど」
―― 元…カレ？
彼を紹介してくれるアヤさんの言葉に、今度はズキンと痛む僕の心臓。一体何なんだろう？
その意味は解らないまま、僕は彼を見上げた。
「…探偵…さん…？」
「…まぁな…あんまたいした仕事はないけど。で？お茶入れるくらいはできんのか？」
「えと、あの、はい。それくらいは…」
「ふーん…ならいいや。しょうがねぇ、俺が面倒見てやるよ」
ポン、と頭の上に置かれた手。心臓のバクバクが、全身に響いてるみたいだ。
「よしじゃあ決まり！ああ、もうこんな時間。おなかすいたわねー紘介なんかおごってよ」
「おごってだぁ？俺の数十倍稼いでる女になんでおごってやらなくちゃなんねーんだよ」
「いいじゃない。雅の就職祝いってことでさ。ね、この前中華のいい店見つけたのよー。ね！ねっ！」
行こ行こ！と彼を引っ張って、アヤさんは事務所を出て行く。
「ホラ雅！行くわよ！」
「あ…うん」
それから食事に行っても、僕のドキドキバクバクは止まらなかった。家に帰ってもおさまらず、寝る前までそれが続いた。
「秋守…紘介…さん」
眠る前、ベットにもぐりこんで名前を呼んでみたらさらにバクバクがひどくなった。
ぎゅっと目を閉じて、眠りたいのにぜんぜん寝れない。身体中が熱っぽくって、ため息ばかり出る。
―― これから毎日あそこでバイトかぁ………
してみてもいいかな、なんて軽い気持ちではじめたアルバイト。
それが人生を変えちゃうくらい大変なコトだなんて、この時の僕はまだ全然気がついてなかった…
冒険のススメ
END
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