頬にチュッとキスを落として、一琉は小さな声で言う。
「ベッド―― 買わない？」
「は？ベッド？」
「そう。ほらだって、もうずっと一緒に寝てるでしょ？だからさ…」
「―― それで模様替えかよ」
■* Chap 39 ： Dearest（親愛）
「じゃあ、ちょっと行って来ます」
一琉の作戦にまんまと乗った聖は、新人戦で優秀な成績を収めて表彰状をもらうことになった。
オレはそれに付き添って、本店に来ていた。
部長室で手渡しらしく、聖は受け取りに行くため上のフロアへ上がっていった。
「タバコでも吸うか・・・・」
特に他に何の用事もなかったオレは、手持ち無沙汰になってブラブラとフロアの通路を歩く。
やっと手になじんできた二代目ジッポのフタを開けたり閉めたりして歩いていると、前から見慣れた姿がこっちにやってきた。
「よぉ・・・」
軽く手を上げるオレを見て、光希は小さく笑う。
「―― １００年に一度の奇跡…っていうやつか」
「何だそれは」
嫌味なんだか感心してるんだか。どっちにしても、もうちょっと他に言い方があるんじゃないかと思う。
まぁ自分の後輩が負けたのは悔しいだろうから、その気持ちは解らないでもないけど・・・
光希は目を細めてオレを見下ろして、くるりと踵を返す。
「吸うんだろ？俺も一緒に行くよ」
「―― ああ…そう」
喫煙所まで行くと、光希は先に長椅子に座る。立ったまま自分を見ているオレに座れば？と顔をしゃくって見せた。
「…あのさ・・・」
賭けの事なんだけど、と言いかけたオレの言葉を遮って、光希はこっちを見て言った。
「負けたのは認める。春比奈との約束通り俺はお前から手を引くよ」
―― まだ何にも言ってないけど…
あんな掛けは無効だ、とか言うかと思いきや、案外負けをあっさり認められて俺は拍子抜けしてしまう。
「勝負は勝負だからな。結果がそうならそれに従うまで。ただし」
「―― ただし…？」
訝しげな表情で見返すオレに光希はフッと笑う。
「次に同じ賭けを俺と有栖川がしてあいつが負けたら、ってことも有り得るだろう？」
―― ああ…そういうこと・・・・・
光希のその言葉に、俺は呆れた顔をして見せた。
諦める気はないけど、とりあえず今はそこまで執着する気もなくなったってことらしい。
よく考えてみると、もともとこいつはそういう性格だったような気がする。
夢中な時は熱中するけど、飽きるのも早い。だけど、自分の持ち物が誰かにもって行かれるのは気に食わない。
それがたとえほとんど要らなくなったものでも。
―― 相変わらず自己中ってことか・・・・
別れて部屋を出たときも、そんなような事を思っていた気がする。
するけど、時間が経つに連れてそういう嫌な気持ちはだんだん忘れていって、『あんなに一緒にいたのに』っていう気持ちだけが残った。
それでもって、こんな辛い思いをするなら誰も好きにならなきゃいいんだって思って――
「どうした？」
ヒトリでぐるぐる考え出したオレを不思議に思ったのか、光希は何だ？という顔をした。
「…何でもねー・・・お前がそう言うなら、いいけど・・・」
本気でそう言ってるのかは解らないけど、あんまりにサッパリと全面的に認められると裏があるんじゃないかなんて思ってしまう。
でも、今目の前にいる光希の様子にはそんな雰囲気は感じられない。
「じゃ俺はもう戻るから」
タバコの箱を持ったまま唖然としている俺をフッと笑って見て、光希は立ち上がった。
「有栖川によろしくな」
そう言って右手を上げると、そのままフロアに戻っていく。
―― んーと・・・・・
なんだかあまりにあっけなくて、オレはしばらく光希の背中をじっと眺めていた。
あんなにいろいろ悩んだり泣いたり痛い目にあったのは何だったんだろ・・・
なんだか光希にいい様にされてしまった気がする。こういうのを『振り回される』って言うのか…
むーっとしながらそのまま座り込んでいたら、今度は後ろから誰かが呼ぶ声がした。
「よっ瑠璃沢じゃん、元気ぃ？」
「―― 戸倉」
光希と入れ替わりに、今度は戸倉がオレの前に立って、フフンと笑う。
「うちの一琉がいつもお世話になってます」
「―― はぁ？」
呆れ顔のオレに、ヘラリと笑う戸倉。
「来週そっちに返すから、もうしばらく貸してくれよな」
「…いや、別にあいつレンタル品じゃねーし・・・」
そう答えるオレをへーという顔で見て、奴はにやりと笑う。
「まーたまた。有栖川がいるのと居ないのじゃ、確保率全然違うって陸前が言ってたぜ〜？それはどうよ」
「どうよって。オレはそんなつもりは―― 」
マジで言い返してるオレの頭をぐりぐりと撫でて、戸倉はあははと笑う。なんだか子ども扱いされてるみたいでさらにムッとするオレ。
っていうか、なんでこいつと桐羽はそんなに情報交換してんだ。
オレとしてはそっちの方が怪しいんじゃないかと思う。
「もー意地張っちゃって。まーいいけどさ。あんまりいちゃいちゃしすぎるのもどうかと思うから、ま、ほどほどにな」
「だっ…誰がイチャイチャしてんだよっ！オレはそんなことしてねーし！！」
「はいはい。結婚式には是非呼んでくれよな。有栖川にも言ってあっから」
「何の話だっ！」
言いたいことだけ言うと、戸倉はじゃーなーとフロアの方へ去っていってしまう。
「…ったく、どいつもこいつもっ・・・」
光希にしても、戸倉にしても、一体オレを何だと思っているのか。
立て続けにおちょくられたような気がして、何だかムカムカする。
「センパーイ」
ムカムカしながらタバコを吸おうとしたら、成績優秀者の賞状の筒を振り回しながら聖が走ってきた。
「お待たせしましたぁ〜…って、あれ…なんか機嫌悪そう・・・」
「んぁ？ンな事ねぇよ」
「…そうですか・・・？？」
ふっと短く息をはくと、オレは気持ちを切り替えて歩き出す。
「帰るぞ」
「ハイ」
光希の肩透かしにも戸倉のおちょくりにも納得いかないまま、オレは本店を後にしたのだった。
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「有村先輩が…ねぇ」
一琉はコーヒーをテーブルに置きながらふーんという顔をした。
「でも結局、俺とのことを認めたわけじゃないぞって事ですよね？」
「―― 知らねぇよ…んなの…でも、お前によろしくって言ってたぞ・・・」
ふーっと息を吐いて、オレはコーヒーカップを手にする。
「よろしく…ですか…どういう意味でよろしくなんだかはあえて考えないことにしときます」
「だな・・・」
一琉は自分のカップを手にして、そうだ、と声を上げた。
「明日、買い物に行きましょう」
「―― 買い物？なんの」
「いや、ちょっと家具を・・」
「家具？何で。別に今困ってねぇじゃん」
「いや、じゃなくって」
コトンとカップを置くと、一琉はニッコリ笑った。
いつもとんでもない事を言うときによくするその笑いを見て、オレは微妙な気持ちになった。
「模様替えしましょう」
「模様替え？？」
一琉の部屋とオレの部屋、キッチンとこのリビングに隣の小さな和室、それから風呂と洗面所。
特にどうするって事も無い状態のこの部屋をどう模様替えしようっていうのか。
オレはコーヒーを口にしたまま、一琉のほうを見ずに聞いてみる。
「どこをどーやって？」
「それは買い物に行ってから…じゃダメかなぁ？」
「―― 今言えないことか」
「そんな事はないけど。でも聞いたら怒るかも」
「じゃあダメじゃねーかよっ」
何だか今日はこんなのばっかりだ。
朝からずーっと誰かに突っ込んでばっかりの気がする。
「見に行けば解るから、ね、一緒に行こうよ〜」
「その頼み方が怪しい。行くのやめる」
「そんな事言わずに。ね、ね、お昼おごりますから。センパイの好きな讃岐うどん食べに行きましょ」
「別に。うどんなんて食えなくてもいいし」
「うどんがいやならイタリアンでもフレンチでもなんでも食べたいものおごってあげるから。ねっ！」
「食い物で釣ろうとするな」
つーんとしてコーヒーを飲み続けるオレを眺めて、一琉はむーっと顔をしかめる。
「わ！こらちょっと！こぼれる！！」
カップを持ったままのオレを後ろから抱きしめて、一琉は耳元に息を吹きかけてくる。
「ねーいいじゃん…お願い聞いてよ」
「いーやったら嫌」
「じゃあ何欲しいか言うから」
「―― 言ってみろよ」
頬にチュッとキスを落として、一琉は小さな声で言う。
「ベッド―― 買わない？」
「は？ベッド？」
「そう。ほらだって、もうずっと一緒に寝てるでしょ？だからさ…」
「―― それで模様替えかよ」
「うん…俺の部屋を寝室にして、あ、涼センパイの部屋はそのままでいいから」
「お前の部屋の荷物はどうすんだよ」
「―― それは―― …」
「決めてないんだろ。じゃあダメ。計画やり直し」
ツレない返事を返すと、一琉はぎゅーっと腕に力を入れてくる。そのままドサクサ紛れに耳朶を噛んだり舐めたりしてくる。
「コラ一琉！お前なにやって―― 」
「だって―― センパイがいう事聞いてくれないからっ」
「だからって何でもしていい訳じゃねーだろ！放せっ」
腕を引き剥がそうとするオレに、一琉はさらに意味不明な事を言ってきた。
「じゃあ勝負しましょう」
「勝負って何の・・・」
オレの身体の向きをくるりと変えさせると、一琉はそのままキスしてくる。
「ぁ・・・・・・ん」
長いキスのあと、一琉はクスッと笑って耳元で囁いた。
「センパイが満足するまで俺が頑張れたら俺の勝ち。先に俺が参っちゃったらセンパイの勝ち。どぉ？」
「そんなん勝負になるかっ！」
「なるなる。ね。よしじゃあ始め！」
「やめっ・・・・もーっ！！！ちょ・・・いち・・・る！」
なんでそんな話になったのか解らないまま、オレはあっという間に一琉に組み敷かれる。
そっからはもう一琉のペースで、オレはいつもみたく、どんどん蕩けていく・・・
「ずっと―― 一緒に居ようね・・・・」
甘い声でささやきながら、一琉はぎゅっとオレを抱きしめてくる。
オレもそんな一琉の背中に腕を回して―― ・・・・
「……絶対…約束できる・・・・？」
コドモみたいな口調で聞いたら、一琉は緩く笑った。
「うん……約束・・する・・」
ゆっくり、沁みてくるようなキスをされて、思わず泣きそうになってしまう。
今まで何百回もキスしたけど、こんなに泣きそうになったのは初めてかもしれない。
そんな感情のまま抱かれたから、おかしくなるくらいに感じてしまって何度も気が遠くなった。
自分のものじゃないみたいな声を上げて、何度も何度も一琉を欲しがって――
・・・・
結局そのまま夜明けまでどっちも譲らず、眠れないまま朝になってしまった。
そしてオレはそのまま一琉に買い物に付き合わされることになったのだった。
Dearest
END
