「涼センパイが―― …」
僕は切れ切れの息で、今起こっていることを説明した。
「何か―― ヤバいドラッグを打たれて―― 」
それを聞いて、一瞬黙りこむ一琉センパイ。
『お前今―― ドコにいる？』
一琉センパイのそんな真剣な声を、僕ははじめて聞いた気がした―― …
■* Chap 19 ： witness（目撃）
キンと音を立てる涼センパイのジッポのフタ。ターゲットの事務所へ向かう途中、センパイはタバコに火をつけると僕にこう言った。
「１０分もありゃ充分だろ。鍵はコレ」
「コレ…って。どうしてセンパイがこんな鍵を？」
「さぁな？なんでだろーな。ま、気にすんな」
僕は怪訝な顔をしてその鍵をセンパイから受け取る。
今日の任務は古い雑居ビルにある中国系売人組織の事務所の前調査、というか、どうも涼センパイはその事務所の鍵を何処かから手に入れたらしい。で、こそっと入って先に証拠のブツを押えようと思っているようだ。普通に考えれば立派な不法侵入だけど麻薬捜査部じゃそんな事日常茶飯事なんだそうで、一琉センパイもいつかそんなような事を言っていた。
「でも、１０分で見つかりますかね」
「見つかるって。お前ががんばりゃな」
「えーっ…僕じゃ無理ですよ」
「じゃ手ぶらで帰るしかないなぁ」
「それもイヤです」
「んじゃ頑張れ」
「はい」
ありきたりないつもの会話をしながら、僕らは通りを歩く。その道すがら、とんでもない事が起こった。
「―― あれ……？」
ありがちなマンションの通路。ドアが開いてそこからカップルが出てきた。
「…一琉センパイ……？」
ボソリとこぼした僕の声に涼センパイもその方向を見た。
「―― 」
その光景を涼センパイは無言で眺めている。僕はなんていったらいいか解らず、隣で同じように黙り込むしかない。
一琉センパイは通りの僕らには全く気がついていなくて、隣にいる女の人と何か仲良く話している。彼女は一琉センパイの腕に何の躊躇いもなく自分の腕をかけ、楽しそうに笑っていた。
「…あの…涼…センパ…イ？」
「あ…？ああ、何だ？」
「いえあの……えっと…」
ううー。こんな時、何て言えばいいんだろ。下手に何か言うよりも、はぐらかした方がいいのかな。でもそれもおかしいし…
口をへの字にしている僕に、涼センパイは笑う。
「お前がそんな顔する事じゃねぇだろ。一琉が何してても俺たちがとやかくいうことじゃねーし」
いいじゃん、とセンパイはまたタバコを出して吸い始めた。でも。
それからしばらく涼センパイは一言も口を聞かなかった。ただ真っ直ぐ脇目も振らずに歩くだけ…
―― 一琉センパイのバカー。こんな昼間っからなんであんなトコで、女のヒトと…
僕は頭の中で一琉センパイにぶつぶつ文句を言いつつ、涼センパイの様子を窺う。
相変わらず厳しい目つきで前しか見ていない涼センパイ。その表情でかなり御機嫌ナナメだと解る。
涼センパイと一琉センパイをくまなく観察している清人センパイに言わせると、２人の状態は今が熟成前の一番大切な時期だそうだ。センパイいわく、ここでの一琉センパイの行動で２人のクリスマスがハッピーになるかならないか決まるんだと言っていた。
―― こんな状態じゃ、ハッピーなんてありえないじゃないかーー
明日はイブだっていうのに、何でこんなコトになっちゃってるんだろ…。当事者でもないのに、僕は涼センパイを見ているだけで憂鬱になってしまう。
「あのビルだな」
視線の先に目的のビルが見えてきた。
涼センパイは立ち止まるとふーっと深呼吸をした。それからスイッチを切り替えるようによし、と呟く。
「行くぞ」
「はい」
古めかしいアルミ枠の扉を開けるセンパイについて、僕もビルの中へと足を踏み入れた。
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捜査は思ったよりも順調に進み、割と簡単に目的のブツを見つけることが出来た。
「よし、じゃ後はちょっとした書類を押収して帰るか」
涼センパイは腕を回してふーっと息をつく。それから窓の外を見て、ぼんやり何か考え事をしていた。
―― 絶対一琉センパイの事だよなー……
ちょっと目を伏せて、小さくため息をつく。それから、まぁいいやとぼそりと言う。
そんな涼センパイを見ていたら、僕までため息がでてしまう。
その時。
何だか訳の解らない言葉を叫びながら、男が２人事務所へ入ってきた。おそらく売人だろうという感じの男とボディーガードのような大男。
２人は部屋中のものを投げ散らかして僕らを襲ってきた。僕らも出来る限りの手段を使って、それに対抗する。
「聖っ！後ろ！」
ハッと振り返った僕の前に立ちふさがる涼センパイ。
「う…ぁ！」
センパイの肩に刺さった注射器を見て、僕は心臓が止まったような気がした。
「涼センパイ―― ！」
注射器を刺した中国人の後ろから、大男が出てきて涼センパイを担ぎ上げる。センパイを助けようと銃を抜こうとした僕に向けて、中国人は青龍刀を振り下ろしてきた。
「オトナシクシナ。デナイトココデオマエモオダブツダ。アノオトコモドウナルカワカラナイゾ？」
片言の日本語で男は僕の鼻先に刀を突きつけてくる。ドアのところで待ち構えている大男に首をしゃくると中国人はフンと笑って事務所を出て行く。
僕はどうする事もできずに、そこで立ち尽くすしかなかった。
男たちの気配が消えた後、僕は慌てて携帯を取りだす。混乱していて頭が働かず、誰に何をどう伝えたらいいのか解らない。でも、とにかく涼センパイを助けなきゃ――
無我夢中で画面を見ながらアドレスを検索してボタンを押す。３回コールがなった後、その声が聞こえてきた。
『はい有栖川 聖か？どーした？』
「一琉センパイ！大変なんです！僕のせいで―― 」
『聖？落ち着けって。何かあったのか？』
電話の向こうの一琉センパイは、僕の様子がおかしいのに気づいたのかちょっと深刻な声になる。
僕はごくりと喉をならして自分を落ち着かせ、口を開いた。
「涼センパイが―― …」
どう言ったらいいんだろう？涼センパイが連れて行かれた？それとも拉致されたって言えばいいのか？僕はぐるぐる回る頭で思いつく言葉をとにかく言ってみる。
「何か―― ヤバいドラッグを打たれて、デカい男に連れて行かれて―― 」
それを聞いて、一瞬黙りこむ一琉センパイ。
『お前今―― ドコにいる？』
一琉センパイのそんな真剣な声を、僕ははじめて聞いた気がした。
『すぐ行くから。ビルの名前わかるか？』
慌てているけれど、でも落ち着いたように聞こえる一琉センパイの声。センパイは僕からビルの名前を聞くとそこから動かないようにと僕に告げて電話を切った。
「どーしよー……もーっ……」
電話をピッと切り、パチンと畳むと僕はそのままその場へへたり込んでしまう。悲しくて悔しくて情けなくて、でも涙も出ない。
なんだけど、涼センパイもいつもと様子が違っていた。センパイなら、売人たちが帰ってくる音をいつもならもっと早く聞きつけているはずなのに、今日は違った。
それは、もしかしなくてもココに来る途中に見かけた一琉センパイと謎の彼女の事と関係がない訳がない。
一琉センパイのせいにするわけじゃないけど、どうもその事が気になってしまう。自分がドジを踏んだのを棚に上げて、僕はまた一琉センパイに心の中で文句を言い始める。
―― 一琉センパイがあんな所で女のヒトと一緒にいなけりゃ涼センパイは――
…
だんだん本筋からそれていく僕の思考。こういうの、現実逃避っていうのかな。
とか、いろいろ考えながらじっと待っていたら、ガンガンと階段を登る音が聞こえてきた。
バンと開くドア。
「―― 聖！」
事務所の真ん中にへたり込んでいる僕を見つけて駆け寄る一琉センパイ。その後ろには清人センパイの姿も見える。
「ああこいつらか。なら埠頭の倉庫にも別のアジトがあるから、そこに連れてったのかもな」
机の上の書類を眺めながら清人センパイは一琉センパイにそう言った。普段は女子高生ばっか捕まえてるくせに、清人センパイは意外とチャイニーズの情報に詳しかったりする。
「埠頭の倉庫って、あの青い？」
「そーそー。たしか１５番だな」
「解った。俺そっちへいくから、お前事務所と聖頼む」
「オッケー。行ってらっしゃい」
こっちを1度も振り返らずに出て行く一琉センパイを僕は黙って見送る。そして、鼻歌なんか歌いながらデスクの引き出しを開けて眺めている清人センパイを見上げた。
「バッカだねお前は。何度同じ失敗すりゃ気が済むの？」
「―― そんなの…知りません」
「ま、これも勉強だけどな。あーあ…顔にアザなんか作っちゃって。お前は可愛いのだけが取り柄なんだから、気をつけろよ」
僕の顔の擦り傷を撫でて、清人センパイは笑う。その笑い顔を見たら、今までの緊張がいっぺんに解けて涙が出てきてしまう。
「どうしよう……涼センパイに何かあったら―― 僕―― ……」
半泣きでそんな事を言い出す僕を、清人センパイはため息をついて眺める。それからこう言った。
「ドラッグ打たれたって事は、殺す気はないんじゃねえの？たぶん売っぱらっちまう気なんだろうな。涼センパイ綺麗だから、高く売れるぜきっと」
「冗談言ってる場合じゃないです！第一ドラッグ打たれて、そのまま正気でいるか解らないじゃないですか」
真剣に怒る僕に向かって、清人センパイはまた笑う。そしてこう言った。
「今日のターゲットのドラッグ。何て名前だ？」
「―― 名前？名前ですか？えーと…」
僕は携帯に入れていたその情報をそのまま清人センパイに見せた。
「ほーお」
清人センパイは涼センパイが打たれたドラッグの名前を見て、にやりと笑う。僕はその理由がわからず首を傾げる。
「何で笑ってんですか！涼センパイ、ドラッグ打たれちゃったんですよ？！」
「いいんじゃない？これはこれで、結構効果あるかも」
「はぁ？！」
”効果”ってなに言ってんだ、この人は。呆れて見上げる僕に、センパイはこう言った。
「Hi-Trackって、調べてみな」
「はぁ……」
言われるままそのドラッグをデータベースから引くと、とんでもない事が書かれていた。
「セ、センパイっ。これ…」
「な？今の涼センパイがそれ打たれて、そこに一琉がいたら間違いなくヤバイだろ？」
「……それって…」
「いっくらお子様のお前でも考えりゃ解るだろ。そーいう事だよ」
そこまで説明されて、僕はやっと清人センパイが一琉センパイをひとりで行かせた理由が解った。そりゃ確かに、そこに清人センパイがいたら絶対お邪魔だろう。
「でも、一琉センパイ大丈夫なんですかね、１人で」
「へーきへーき。涼センパイの為だったら一琉は何でもやっちゃうって」
そこまで自信たっぷりに言われると僕はもう反論が出来ない。それならそれでいいんだけどさ…
「僕らはどうしたらいーんですかね？」
「んだな…どーせ涼センパイを連れてったチャイニーズの奴らは一琉にやられて逃げちゃってるだろうから、今さら行っても無駄だしな。ブツが見つかったんならちょっと書類だけ調べて帰るか」
「はぁ…それでいいんですか？」
「他にねーだろ、追っかけてって２人がどうなるか観察すっか？」
「やですよ、そんなの」
「だろ？だからいいんだよ。涼センパイの事は一琉に任せとけば」
俺はこっちからやるから、と清人センパイは僕にそばの引き出しの中を調べるように指示する。言われた通りに、僕はその引き出しの中を調べはじめた。
調べながら、僕は清人センパイに今日見てしまったマンションでの出来事を話してみた。
「一琉が？」
僕の話を聞いて、清人センパイは調べ物をする手を止めてふーん、と考え事を始める。
「ああ、そうか」
「？」
清人センパイは一人で納得して頷いている。僕は訳が解らずそんな清人センパイを眺めるしかない。
「そうかって、何が？」
「ん？」
ちょいちょいと手招きする清人センパイ。言われるままそっちへ行く僕。センパイは僕の肩に手を掛けて、小声でこう言った。
「涼センパイにはだまっとけよ」
「はい」
「実はさ……」
ここには僕と清人センパイしかいないんだからひそひそ声で話す事でもないのになー、と思いながら僕は清人センパイの話を聞いた。
「ってワケよ」
「あー…そういう事ですか…なるほど…」
その話を聞いて、僕もなるほどと納得してしまう。でも、何でその話を涼センパイにしちゃいけないんだろ？
「だって、黙っといた方が面白いじゃん？」
ニヤリと笑う清人センパイを見上げて、僕は呆れた顔をする。面白いとかそういう問題じゃないと思うんだけど。
「涼センパイ…大丈夫かなぁ……」
書類をまとめながら呟く僕に、清人センパイは笑いながら返事を返す。
「大丈夫だって。ま、でも別の意味で大丈夫じゃないかも知れないけどな、ハハハ」
「―― はぁ…」
涼センパイが打たれたドラッグの効能が一琉センパイにどう効くのかは解らないけど、それで誤解が解けるならそれはそれでいいかも。
僕はそんな事を思いながら、雪が降りそうな窓の外を眺めた。
witness
END
