「そう、俺は絶対に他人を信じねーの。信じてんのは自分だけ。それが俺の信条なんだよ」
そう言ったら、一琉はビールの缶をコトンと置いてこっちに向き直った。

「…俺に似た”誰か”の事も…？信じてなかったの？」
耳元で囁くように聞かれて、オレは答えられなかった…。



　■*　　Chap０３　　：　　article(信条）　　




「すごいですねぇ」
はーと後輩の聖がのんきな声を出す。オレ達は２人で缶コーヒーを飲みながら確保率のグラフを見上げていた。
「一琉センパイ、涼センパイとほんのちょっとの差ですよ。油断してたら追い抜かれちゃうかも」
どうするんですか、と心配そうな顔をする聖をチラッと見て、オレはフッと笑ってみせる。
「別に？もし抜かれたら俺が一琉よりターゲットを捕まえてこりゃいいだけの話じゃん？別に心配するこっちゃねーよ」
ふぅ、と息をついて後ろにあったパイプ椅子に座るオレに合わせて、聖ももう１つあるイスに座る。

「…僕が涼センパイの足引っ張ってばっかりだから…」
ぐし…っと泣きそうな顔をする聖のおでこをゴツンとグーで小突いて、タバコを取り出す。
「バーカ。この俺様が一琉ごときに負けるかっつーの。それよりお前こそ何とかしろ。これじゃまた本局の庶務課に戻されちまうぞ？」
あん？と目を細めるオレをみて、聖は情けなさそうに肩をすぼめた。
「うー…っ。そー言われてもぉ…」
「がんばってるんですー…ってか？」
「解ってるなら言わないでくださいよー」
「まぁな」
カチっとジッポでタバコに火をつけ、天井を見上げた。
「お前の見てくれじゃ、この仕事は苦労すっかもな…。俺も最初はそーだったから」
うん…とタバコの灰を落としながら、オレは新入りだった頃の自分を思い出してみる。


最初に配属されたのは、一琉が元いた本局の捜査部だった。
捜査部には１課から４課まであって、オレが配属されたのはそこのなかでも結構キツめな任務の多い１課だった。
仕事的にはすぐ慣れて何とかこなせるようになったけど、この見てくれのせいでターゲットになめられて結構苦労した。コドモだと思われるのか女みたいだと思われるのか解らないが、とにかく軽く見られて困った。

オレはこの性格だから、なめられればそれ相当の仕返し、というかやり返しをしてターゲットを確保したけど聖の場合はそうもいかない。
「お前は性格が優し過ぎんだよ。甘いっーか。しかも怖がりだし」
「…しょーがないじゃないですか…。今さら性格を変えるわけにもいかないし…」
「そりゃそーだけどよ」
性格がそんなに簡単に直ったら、誰も苦労しない。うーんと考え込んでいるオレに、聖は逆に質問してきた。

「センパイって、最初1課にいたんですよね？本局の。どんな所だったんですか？」
「ああ。そーだな…。ココとは全然違うな。雰囲気が。なんかこう…、もっとお役所チックていうか、ぎすぎすしてるっつーか…」
「ぎすぎす？」
「うん…。何？皆確保率が欲しいからさー。もう奪い合いだぜ。ターゲットの」
「えーっ。そんな厳しい…」
「まぁな。一琉がいた４課だって似たようなもんじゃねぇ？あそこはキャリアが多いから、もっと大変だと思うけどね」
はぁ、と目を泳がせて返事をする聖がおかしくて、オレはクックッと笑った。
「笑わないで下さい。でも、そんな部署でも涼センパイってかなり優秀だったんですよねー。だったらパートナーもかなり優秀だったんじゃ…」
「パートナーなぁ。ま、そこそこ…かな。俺、同期と組んでたからさ、似たようなもんだったけど」
「へぇー。どんな人だったんですか？」

そうやって聞かれて、オレは一瞬口をつぐんだ。それはもう反射的な行動で。
聖もそれを感じ取ったのか、すぐに話題を変えようとした。オレが上司を殴って1課を追い出された事は聖も知っているから、きっとその事と関係あると思ったのだろう。
「今さら昔のコト聞いたってしょーがないですよね。あはは。でもすごいなぁ」


急いで取り繕おうとする聖を見て、オレはフッと息をつく。
「いいよ別に。俺はあいつに結構世話んなったし。今でも尊敬してるよ」
「……誰…って聞いたら怒ります？」
そろっと上目遣いで、聖はこっちを見る。

聞きたいならそんなこと聞かなきゃいいのに。しょーがねー奴。
「…有村だよ。今１課の課長補佐やってる。そういやお前あいつのパートナーと同期じゃなかったか？」
「ええええーーー？！センパイの元パートナーって、有村さんなんですか？！ルキのパートナーの？！」
「そうそう。ルキっつったっけ。ガイジンみたいな顔した奴だよな」
「外人っていうか、ハーフなんで。奴は」
聖の顔がだんだん険しくなってくる。むーっと唸り声をあげると、持っていた缶コーヒーを飲み干し机にガン！と置いた。
「負けられません！絶対に。僕頑張ります！」
いきなりどーしたのか、聖は拳をグッと握るとオレに向き直った。
「ルキだけには絶っ対に負けたくないんです」
「ほぉ。お前にしちゃめずらしい反応だな。そんなに嫌いなのか？」
「キライって言うか、ムカつくんですよ」
説明では、有村のパートナーの園近ルキは聖のライバルらしい。
身長は１センチ差、警察学校の卒業試験は１点差、いつも園近の方が紙一枚優秀だったようだ。
「たかが１センチ差を自慢しやがって」
まるでコドモのケンカだが、本人にとっては大問題なのだろう。ヒートアップしてくる聖をたしなめるように、オレは冷蔵庫からアイスを持ってきてやった。

「まぁまぁ、これでも食って。いいじゃん。園近が今どのくらい確保してんのか知らないけど、お前はお前、奴は奴だろ？」
「解ってます」
「でもま、負けたくないなら頑張るんだな。俺も影ながら応援してやっから」
「はい」
アイスをくわえて、首をぶんぶんと縦に振る聖を眺めて、ふーっと息をつくオレ。


―― 有村…か…。
その名前を最近忘れていた。というより。
忘れようとしていた。忘れなければ、やりきれない。短くなったタバコを消して次のタバコを取り出しながら、目を伏せる。

―― 今さら…。終わった事だろ…。

もう思い出したくない。
あの時から、自分はどれだけ変わろうと努力した事か。でもおかげでかなり強い人間になれたとは思うけど。
だけど傷は、いつまで経ったって癒されない―― …。

真剣に考え込んでいるオレの様子を伺いながら、聖は恐々と声を掛けてきた。
「そろそろ店の方始まるみたいです。一琉センパイと清人センパイがまだ戻ってきてないから、早く来てくれって桐羽センパイが―― …」
「…ん。ああ、解った。すぐ行く」

吸おうと思ったけど、火をつけるのをやめて出したタバコを箱に戻す。
考えを切り替えるようにイスから立ち上がって、オレは店に向かった。





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「へーえ。聖が？」
残り物にもかかわらず、すばらしく立派に作られた夕食を前にして、オレは今日聖と話した事を一琉に話す。
「ああ、あいつルキのこと、めっちゃライバル視しててさ」
「ふーん…。あの２人、似たようなタイプですもんね。子犬キャラっていうか」
「そーだな。子犬だな。確かに」
クスクス笑いながらビールを開けるオレを一琉も笑いながら見る。
「でもなんでルキの話に？」
一琉にそう聞かれて、オレはなんて答えようか考えてしまう。

「ああ、俺のパートナーの話になってさ」
「パートナー？涼センパイの？」
「うん」
「１課ですよね？誰だったんですか？」

その質問に、一瞬答えに戸惑う。別に言ったところでどうって事はないのに、何だか気が引けてしまうからだ。
しばらく考えて、小さな声で答えるオレ。
「お前も良く知ってんじゃない？有村」
「ああ…有村センパイだったんですか」
「うん…」
「涼センパイと有村センパイなら、かなりいけてるコンビだったんじゃないですか？またなんで …」
センパイは転勤になったんですか？と聞きかけて、一琉は口を押さえた。
「すみません。聞くつもりじゃなかったのに」
「は…？ああ、別にいーよ」
「でも…、転勤させられたのって…」
「上司を殴ったから。だからココへ飛ばされちゃった」
ビールを飲み干し次の缶を取りに行くオレに一琉は思い切った顔で聞いてきた。

「何で殴ったりなんか…」
その理由は言いたくない。言いたくないから、オレはテキトーにごまかした。
「べっつに。何となくムカついて。まぁいろいろあったしさ。だから殴ってみたワケよ」
「はぁ…」
納得しきれない顔でオレを見上げる一琉に新しいビールを渡す。カシュっと音を立ててあけられる栓から泡がこぼれた。
「でもおかげで俺も人間が出来たぜ。考え方とか、仕事のやり方とかさ」
「―― へぇ…。そんな事があったのに、ですか？」
「おう」


一琉はしばらく考えて、ポツリと言った。
「センパイって、強いですね…」
「強い…ねぇ。まぁそうかもな。俺は基本的に誰も信じないから、そんな目にあっても平気なのかもな」
そう言って笑うオレを見て、一琉は複雑そうな顔をする。


「絶対に？信じないんですか？どんな相手でも？」
「そう、俺は絶対に他人を信じねーの。信じてんのは自分だけ。それが俺の信条なんだよ」
そう言ったら、一琉はビールの缶をコトンと置いて、こっちに向き直った。

「信条…ですか」
フッと笑うその顔から、目が逸らせない。すっと伸びた奴の指が、顎をきゅっと上げた。

―― んだよ…。何で笑ってんだお前は。
口には出さずにココロの中で、オレは悪態をついてみる。
そんなオレの心を読むように、一琉は小さく笑った。



「―― …俺に似た”誰か”の事も…？信じてなかったの…？」
耳元で囁くように聞かれて、オレは答えられなかった。首筋をなぞる一琉の指にビクリと反応する自分の身体。
「そんなコトは…ないよね…？」
「知るか…んなモン…」
耳元に囁かれる声が、頭の後ろに響く。それが背中から全身に伝わるようで、クスっと笑う笑い声にもゾクゾクする。自分が何でそんな反応をしてるのか、考えたくなくてオレは一琉の顔をぎゅーっと押し返した。
「もーうっとおしいっつーの！」
顔にある手を掴みながら一琉はビールを一口飲む。それから少しイジワルな声でこう言った。
「顔…、赤いよ？」
笑いながら、また首筋に指を伸ばして軽く抱くように引き寄せる。せっかく引き離したのに、またべったりくっつかれてもう抵抗する気も起きない。
「んだよっ…酔っ払いか、お前は」
「…酔っ払いなら、こんな事しても許してくれるんだ？」
「許すか。バカっ」

怒りながらも背中を抱いてくる一琉の腕から離れようとは思わなかった。
"思い出したくない事"を思い出してるのに、こうしていると忘れられそうな気になってくる。
「俺の信条、聞きたいですか？」
「聞きたくねー。興味ないし」
「じゃあ教えてあげます」
「はぁ？いらねーって」


「いいじゃん…。聞いてよ」
耳が…熱い。もうこれ以上その声を聞いてたら、何されても怒れなくなりそうで怖い。

「…涼センパイ」
いきなり名前を呼ばれて、ドキリとしてしまう。

―― 信条を教えてくれるんじゃなかったのかよ。
名前を呼んだまま黙り込んだ一琉の腕にきゅっと力が入った。何か企んでいる気がして、オレはムッとした声で文句を言う。
「…もう離せよっ。んとに。いい加減にしないと―― …」
不満そうな顔で自分を見上げるオレを見て、一琉はクスッと笑った。そして…。


―― ウソ…。何で？


耳元から、首筋に伝う熱い感覚に身体はビクビク反応してる。
でも。
頭はそれについてってなくて、何が起こってるか理解できない。

―― …今のは…なんだ？！


ペロッと舌で唇の端を舐めながら、一琉はオレを覗き込んで笑う。
「―― 今の信条は、涼センパイにいう事を聞いてもらう事…かな？」
「バカかお前はっ。それは信条じゃなくて、ただのワガママだろーが」
「そっかな…。じゃ、欲しいものは諦めない、に変更してもいいけど」
「もーいい。勝手にしろ！ホラ離せっ。皿片付けないと」
グーで頬を押しやって、オレは自分にくっついている一琉をはがす。皿をまとめて両手に抱えると、慌てて洗い場へ行った。

――　まったく。ドアホの酔っ払いが…。
ふっと振り返ると、一琉はビールを飲みながらフフンとこっちを笑ってみていた。
オレはフン！と顔を背けて、食器を洗う。


「今度はちゃんとしてあげるから」
両手を伸ばして、おいでといわんばかりの一琉にオレはアヒルのぬいぐるみを投げつけた。
「誰がそんな事するか！早く寝ちまえ！酔っ払い！」
「ちぇー。つまんないの」
「つまんなくない！もう！フロ入ってくる！」
ぴしゃりと言い放ってリビングを出る。そうしないと、自分の身体がいう事を聞かなくなりそうだった。

「まったく…もう…」
舌が伝った首筋を抑えて、オレははぁっと息をつく。
耳の端に残っている唇の感覚を思い出すだけで身体が熱くなってきた。

「何考えてんだ…俺は…」


もう誰も信じない。二度と同じ事は繰り返さない。だから…

「誰も好きにならないって…決めただろ…」

誰かに心を許すなんて、もう二度としない。
そうやって今日までやって来たのに―― 。



「…どーなってんだよ…俺…」



その夜から、自分の気持ちはちょっとづつ揺らいで。
信条がたやすく崩れる日もそう遠くない事を、本当はこの時にもう解っていたのかも知れない。

そうきっと…。
解っていたのに―― …。











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