別に、悦ばせてもらいたいわけじゃない。快感を得たいから、一琉に抱かれてるわけじゃない。
身体が繋がってなくたって、あの甘ったるい声で名前を呼ばれるだけでも満たされる。
有村と付き合っていた頃の、身体が求める恋をしてるんじゃない…
――
離れたくない…ずっと―― そばに居たい…
■* Chap 26 ： Reset(戻)
パキン！と嫌な音がした。
テーブルの上に転がるジッポのフタ。
―― こんなもん取れるわけねーのに…
長年愛用していたジッポのフタが、付け根から折れた。結構大事に使ってたつもりだったのになんだかショック。
こういう時は何か嫌な事が起こりそうな予感がして、オレはため息つきながらそのフタを眺める。
それが、ただの予感だけならよかったんだけど・・・・
それじゃ済まなかった。
その電話は昼前、店ににかかってきた。
「…涼センパイ、電話ですけど・・・・」
躊躇いがちに聖はオレに受話器を渡す。オレはそんな聖の顔を不審そうに眺めて受話器を受け取った。
「もしもし？」
『久しぶりだな』
「……有…村」
かかってくるはずのない相手からの電話。
オレはどう反応していいか解らず、しばらく黙ったままでいた。すると、その様子を察したように、電話の向こうで有村はくくく、と笑った。
『…なんでお前から電話なんだよ…とでも言いたそうだな。ところで、明日午後からこっちにこれないか？』
昔とおんなじ。
こっちの都合なんか聞きもせずに、いきなり用件を切り出してくる。しかも断りにくいような威圧感のある言い方。
『惚れてた時』にはヤツのこんな強引さも魅力に感じていたけれど、至れり尽くせりの一琉のやり方に慣れた今では苦痛にしか感じない。
「午後から？悪ぃけど、オレもヒマじゃねーんだ。確保の下調べもあるし、店も忙しいからさ」
『そう言わずに来いよ。お前にとっても損な話じゃないぜ？』
「損とか得とか…話の内容も聞かずにんな事言われたって意味解らねぇっての」
『…ま、それもそうだな・・・今言えるのは、”お前にも有栖川にも得な話”とでも言っておこうか』
「……一琉に…？」
その名前で反応するオレの呼吸を確認するかのように、有村は沈黙していた。オレと一琉に得な話が有村からなんで出るのか。
さっぱり解らないけど、一琉のコトを有村が口にするのが気になった。
「…解った……午後から…本店に行きゃいいのか？」
『本店でも構わないが……ちょっと人事絡みなんだ。お前が気にならなきゃ、本店の裏のホテルのロビーでどうだ？』
「はぁ？なんでホテル？会議室とかじゃまずいのかよ？」
今さら、有村とはたとえシティホテルでも行きたくない。そんな場所で２人で会うのはお断りだ。
「仕事の話なんだよな？それをホテルでするってーのはどういう了見だよ」
疑り深さ１００％でそう言うオレの言葉に、有村はさっきと同じように笑いながら答えた。
『だから言ってるだろ、人事絡みなんだって。まだオフレコなんでな、できるだけ他人には聞かれたくない』
あくまで、人事上の問題だと言い張る有村に、オレはもう言い返す気力がなかった。
「裏のシティホテルか…時間は？」
『午後からならいつでも。来る前に連絡くれれば、先に行って待ってるよ』
「…わーった…」
会話を済ませると、オレは訝しがりながら受話器のスイッチをOFFにする。
聖はちょっと離れた所から、そんなオレを心配そうに眺めていた。
「―― センパイ……？有村先輩、どんな用件だったんですか…？」
「あ…？ああ、大した用じゃない。仕事の話。明日の午後、ちょっと来いって言うから、顔出してくる」
「…そうですか…じゃあ、明日の下調べは僕一人で行きましょうか？」
「いやいいや…明後日にしよ。お前、今月の業務報告書いてないだろ。明日やっとけ」
「……はい…じゃあ…そうします・・・・」
聖に上手く話をして、オレはまた考え込む。
有村が、何か宜しくない事を企んでいる気がして仕方ない。アイツが一琉の名前を出す事自体、どうも怪しい。
その日はココロがざわついて、夜も眠れなかった。
一琉にどうしたの？と何回も聞かれたけれど、答えられずに笑って誤魔化した。
―― 有村の奴・・・・・いったい何を…
考えれば考えるほど、嫌な予感がどんどん膨らむ。
結局オレは一晩中眠れず、次の日の朝を迎えたのだった。
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+
午後。
今から行くからと用件だけの電話を入れて、俺は言われたホテルに向かった。
ロビーに着くと、有村はオレをすぐに見つけて呑気に手なんか振ってきやがった。
「…で？用件って？」
さっさと聞いて帰りたかったオレは挨拶もせずにそう切り出した。
でも。
「そう慌てるなよ。部屋とってあるんだ」
「はぁ？アホかお前。なんで仕事の話で部屋まで取る必要があんだよ」
「ここじゃ誰かに見られるかも知れないだろ？」
「…見られちゃまずいのか？」
ムッとして自分を見おろすオレに、有村は部屋のキーを見せる。
「まずくなきゃ、部屋は取らない。いいだろ？何かするわけじゃなし」
「ったりめーだろ……触ったら殺す…」
本気モードで睨んだら、有村はまいったな、という顔をして笑う。
―― つーか、お前の行動、怪しすぎるんだよ…
そこまで解っているのに、部屋へ一緒に行こうとしている自分もバカだとは思う。でも、ココまで来たら話を聞かない訳にもいかない。
「部屋に行って、さっさと用件を済ませろ。オレは忙しい」
「…よし、じゃ行くか。５階の部屋だ」
オレは言われるまま、有村についていく。
そしてこの後、とんでもない目に遭うとはその時は思いもしなかった。
+ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ ++ ＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋＋ + +
サーバーからコーヒーを入れると有村はそれをオレの前に置く。
そしておもむろに今度の本店の人事の話をし始めた。
「一琉を？」
有村の言葉にオレはピクリと反応する。
「ああ、稲村部長から直々に話があってさ。４課の課長補佐を探してるから誰か適当な奴いないかって」
「それに一琉を？なんで…」
不審そうに自分をみるオレの視線に有村は軽く笑いを返す。
「別に…？だって有栖川は優秀だし、今度課長になる戸倉のお気に入りだから。それもいいかなって」
「…へ…え」
たしかに一琉は優秀だ。こっちに来ても、本店にいた頃とおんなじくらい確保率がある。まだ管理能力は低いけど、頑張れば補佐くらいは勤まるだろう。でも。
「…何で、その話をオレにする訳？」
首をかしげてそう尋ねると、有村はイジワルそうに笑った。
その顔を見て、ふっと昔のコトを思い出してしまう。
昔、まだオレと有村が”コイビト”って関係だった頃、有村はいつも無理なお願いをしたい時は必ずその顔をした。
あの頃はオレが困るのが面白くてついやってしまうと言っていたけれど…。
「どうしてお前にこの話するか…ホントに解らない？」
「…解んねぇよ…」
解るわけないだろ。お前の考えてる事なんか、もうオレには解らない。
解ったって、そんな事に何の意味もない。
「本店の事なんか、オレには関係ないね。一琉が必要なら連れて帰ればいいだろ？どうせ出向なんだし」
そう言って、イジワル笑いの有村を軽く突き放した。
でも、奴はオレの予想に反してとんでもない行動に出た。
「―っ…！何す―…！」
信じられない。
どうして。
「触ったら殺すっつったろ！てめ……」
暴れて突き放そうとしたけど、向こうもどうやら本気らしい。オレの手首はあっけなくつかまれて、奴の思うままになってしまう。
塞がれた唇から声が零れた。
「…んう……は…っ…」
久しぶりのキス…。昔と…全然変わらない。
”好きだよ”と繰り返し言ってくれてた頃の、キスと同じ…。
――ヤ バい…このままじゃ…
突然の事に、あやうく流されかけてしまう。
「…や…だ…！有村…っ…離せ…って！」
両手でその胸を押しやると余裕たっぷりな表情で笑う有村をキッと睨んでみる。
「何でこんな事―…」
今さらこんな事してどうしようって言うんだよ。
オレに、何をしろって―…。
「有栖川と別れろ」
「―― は…？」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
何でそんな言葉がお前の口から出るんだよ…。不満一杯の目の色のオレを覗き込んで、有村は言った。
「あいつと別れて、俺のところへ戻って来い。そしたら、有栖川を４課の課長補佐にしてやる」
「…なに…言って…」
一瞬言葉の意味が理解できなかった。
あいつと別れて、の意味も解らないし、戻って来い、と言われる筋合いもない。
だいたいオレを捨てたのは有村の方なのに、戻って来いなんて平気で言えるその神経が理解できない。
それに、一琉との事は有村は知らないはずだ。
「別に…オレは一琉と付き合ってるわけじゃない…。一緒に住んでるってだけで――
…」
そう言って、話を聞き入れないオレに奴は驚くような言葉を吐いた。
「…嘘吐くなよ…。あいつに…抱かれてるんだろ…？俺がその事知らないとでも思ってるのか」
「―― …な…っ…」
目を見開いて見上げるオレに、有村はフッと笑ってキスする。
それから脅すように小声で囁いてきた。
「―― 本店の会議室で…してただろ…？…あんなに感じて…。オレといた頃は、あんな声出さなかったのに…」
声がでない。まさか―― …。見られてたなんて…。
「…相変わらずいやらしい身体なんだな…。あれ見てたら、また抱きたくなったんだよ…この身体をね」
「…勝手な事言うな…っ…。…オレじゃなくて部長の娘を選んだのはお前の方だろ。今さら何を――
…」
「―― 涼」
低く、響く声で名前を呼ばれた。射抜くような目で見つめられて、身体が動かない。
「…俺はお前と別れたなんて、今でも思ってない。お前が勝手に出てっただけだろ…。それに…」
フフン…と何もかも見透かしたような笑い声。
さらりと髪を撫でていく手が、首筋を伝って背中を滑る。
「俺なら…、あいつよりもっと悦ばせてやれるぜ…？…この身体の、何もかもを知ってるんだから…」
シャツのボタンに掛かる手を掴みながら、首筋に這う舌を必死で拒んだ。
拒んでいるけど、オレよりも15センチも背の高い奴の力にはかなわない。
「…イ…ヤって！有村っ！…こんなの―― …」
必死で抵抗するオレに、奴は殺し文句のような言葉を振りかざした。
「有栖川の事…大事なんだろ？…だったら、お前があいつの願い事を叶えてやればいいじゃないか」
「―― …う…」
オレが有村を許せば、一琉は本店に帰れる。もともと目指してた”キャリアの道”にまた戻る事ができる。
でも…。
もしその条件を受け入れてしまったら、オレはもう一琉と一緒に居る事はできない。
あの声も、身体の熱も、溶けるようなキスも…もう…。
―― や…だ…。やっぱりダメ…だ
別に、悦ばせてもらいたいわけじゃない。快感を得たいから、一琉に抱かれてるわけじゃない。
身体が繋がってなくたって、あの甘ったるい声で名前を呼ばれるだけでも満たされる。
有村と付き合っていた頃の、身体が求める恋をしてるんじゃない…
―― 離れたくない…ずっと―― そばに居たい…
こんな状況なのに頭の中が一琉のことで一杯になって、もうどうしようもなくなってしまう。
どのくらい自分が一琉を好きか、やっと解った気がする。
なのに、オレの身体は有村の熱で溶かされそうに熱くなっていく…。
「…あ…あぁ…！」
自分の中心が、熱くなってぐるぐると渦を巻く。
目の前にいるのは有村なのに、一琉に抱かれてるような感覚になって、もう自分でも止められない。
―― も…いい…。このまま…っ…
他人に流されるなんて、考えた事なかった。流されたら、オレは昔と同じ、有村の『持ち物』になってしまう。
でも・・・・・
このままじゃ自分の我儘で一琉のチャンスをダメにしてしまう。いくら愛されてるからって、オレに一琉の将来をふいにする権利なんてない。
きっと、こんな事したら一琉は怒るに決まってる。
そんなこと、考えなくても解る。
だけど、こんなオレにでも”好きな人”の為に何かしてあげられることがあるなら――
…。
それでも、いい。
「…一琉を本店に…返してくれる…の…？」
「…ああ…お前がいいなら、いつでも…？」
「…解っ…た…」
オレが好きなのは一琉だけなのに、こうやって有村に悦ばされてるなんて…。
つくづく、こういう事に弱い自分が嫌になる。
何考えてるんだろう？
こんな所見たら、一琉は何て思うんだろう…
こんなの―…
おかしいのに…
なのに―…
渦がどんどん大きくなって、もう逃げられない。
「み…つきぃ…っ！」
名前を呼んでしがみつくオレを、奴は昔とおんなじ様に抱く。
その腕に抱かれながら、オレは小さく呟いた。
「…一琉…ごめ…ん…」
こんな事ダメってわかってる。解ってるけど、他に選択肢が無い。
自分の気持ちを満たすために、一琉の将来をダメになんかできない。
だから、これでいい。
おかしくなんか、ない。
含み笑いをする有村の腕の中で、自分に一生懸命言い訳をしながらオレはゆっくりと波に飲み込まれていった。
